これほど乱暴な議論は前代未聞だ。

  かつて職員140人だった町役場が合併によって新市の総合支所となって40人にまで減少したとき、町の住民は騙されたと気付いた。40人に減らされた職員では74平方kmに及ぶ管轄区域をすべて管理することは出来なくなったからだ。


 合併により町から立候補して市議会議員になっている3人の議員では多勢に無勢で町のことを町の住民で決めることは出来なくなった。教育委員会も町からなくなり、年行事までも従来から町にあった殆どのものが予算の都合で廃止された。


 


 かつては町会議員に関してはかばかしい評判を聞かなかった。知名士がなっているようだという悪評が満ちていた。しかし合併により町住民が溜飲を下ろしたのも最初の数年だけだった。今度は誰に頼んでよいのか分からず、生活道の補修や公民館の屋根修理などが放置されるようになって慌てた。


 大前氏は地方議員は職のない若者か暇だらけの老人たちのハローワークだと酷評するが、果たしてそうなのだろうか。いたって彼らはマジメにやっていたのではないかという反省が町にはある。かつて町会議員の報酬は20万円にも満たず、手取りは15万円前後と、他に職がなければ生活出来ないものだった。合併後の市議会では従前から45万円もの高額報酬が市議会議員に支給されていたと知って町の住民は驚いたほどだ。彼らが「皆様のためにご奉仕したい」と選挙で絶叫しているのが当選するためのお題目に過ぎないと知ったからだ。


 


 その合併前の町会議員も自治法に定める定数24人のところを16人にまで減らしていた。大前氏が言うように1/10まで減らしたら2人以下ということになる。非現実的なことを余り調子に乗って発言しないことだ。


 職員数を減らせというのも程度問題だ。1/10では立ち行かないことは町の合併経験から明らかだ。1/10ということなら140人いたのだから14人ということになる。1万7千人の住民窓口だけでも10人は必要で、他の上・下水事業や道路維持・管理や学校教育等等の部署を4人で賄うことは到底出来ない。


 


 合併により周辺町村部の社会インフラが目に見えて悪化している。行政の効率化ということから、周辺部を切り捨てられるのだろうと旧町住民は話して心配している。


 この国の富の再配分は上手く機能しているのだろうか。格差社会は富の再配分がうまく機能しないことから起こっているのではないだろうか。


 大前氏は米国に学び米国流の経営的発想をこの国に紹介してきた評論家だ。彼の考えが必ずしもこの国に馴染むとは思わないし、彼がお手本としている米国が格差社会の病魔に冒されて行き詰っている。物事を図式的に簡略化して考えるのが学問のあり方だ、というのは西洋的な分析手法の産物だ。しかし日本は西洋社会に属してはいない。東洋人として西洋的分析手法だけで片付けられない調和と共同としう叡智を持っている。小泉氏が推進した平成の大合併は常軌を逸していた、という反省が全国各地で湧き上っている。一つの市が600平方キロを超えるというのは地方自治体として適切な行政規模だろうか。そこを治める市長が無給で果たして職務責任を問えるのだろうか。



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