生活保護不正受給の蔓延る事態を予想していない社会、-性善説を基に設計している日本社会。

  大阪の生活保護受給者に保護費不正受給者が蔓延しているという。生活保護申請して来る人たちを審査する職員は一定のマニュアルに従って審査しているのであって、申請者の生活実態の隅々まで一定の期間子細に立ち入って審査したわけではない。


 同じように時々障害者補助金の不正受給が社会問題化する。札幌の眼科医師が視覚障害者である、と認定した人が実は全盲を装っていた事件があった。医師が不法に証明書を書いていたのではないか、という嫌疑も掛けられたが、本人が「見えない」と言えば「見えているはずだ」と医師が決めつけることは出来ない。


 


 日本社会は性善説に立って基本設計されている。良く例として引き合いに出されるのが屋外に設置されている自動販売機だ。日本国民にとっては自動販売機が屋外にあるのは極めて自然な風景だが、外国人にとっては商品とカネを屋外に放置しているのと何等変わりなく奇怪な状況だと目に映るようだ。外国なら数日としないうちに販売機ごと持ち去られてしまうだろうと彼らは言う。


 官僚は国民のために奉仕する職責を負っている、と現在も我ら国民は思っている。しかし現実に多くの彼らは官僚・公務員を他の職業と全く同じように捉えている。この国のマスメディアまでも「公務員給与を引き下げたら優秀な若者が公務員を目指さなくなる」と論説を掲げたりする。つまりマスメディアも公務員と他の職業と職業倫理に何等変わりないと思っているのだ。


 


 財務官僚や日銀当局は「国民経済や国民生活」のために権能を行使している、と多くの国民は思っている。彼らが故意に国民を困窮させるために権能を揮っているとは夢にも思っていない。しかし実態はそうではないようだ。


 財務官僚は財政出動が景気回復に殆ど寄与しないことはここ20年来の財政出動による景気浮揚策が極めて限定的にしか機能して来なかったことから学習しているはずだ。しかし財務当局はアベノミクスという大盤振る舞いで景気浮揚を図ると声明する政府を批判しない。あれほど民主党政権下で新規国債発行枠に拘った財務官僚たちが自民党政権に移行した途端、拡大財政論者に宗旨替えしたかのようだ。


 


 日銀当局はもっとひどい。自民党政権に移る前から、安倍総裁の金融緩和論に呑みこまれて、それまで頑なに「自律的な金融」を固持していた金融政策をあっさりと反故にして、金融拡大を容認する方向へと舵を切った。


 このブログで絶えず金融緩和・拡大を主張して来た。この国の経済の諸悪の根源は経済実態を反映しない意図的な為替相場にあると指摘した来た。しかし(なんら力を持たない一ネットブロガーの意見など)金融当局は無視して他の通貨が垂れ流しに紙幣を増刷しているにも拘らず、日銀は愚かにも自律的な金融政策を10年近くも続けて、1ドル110円から70円台にまで円を高騰させた。その土俵でどの企業が貿易の場で戦えるというのだろうか。日本経済の長く続いたデフレ下の低成長は金融当局による人災だ。


 


 彼らは円を高くして日本経済を窒息させることによって彼らの高給を維持して来た、としか考えられない。つまり官僚たちもインフレが起こった場合、官僚たちの給与を簡単に上げることは出来ず、目減りするから、国民は困窮しようとデフレで景気が回復しないでも自分たちの給与が減額されるわけでないから了として来た、のではないかと勘繰らざるを得ない。


 この国は性善説で基本設計されている。それ自体は間違っていないが、運用する者が性悪なら簡単に騙せる構造になっている。それも問題ではないが、問題なのは性悪であってはならないこの国の司に座る人物が性悪ならば打つ手がないことだ。全国紙とテレビが同一資本支配構造になっているが、実はそうしたクロスオーナーシップを先進国では法律で禁じている国の方が多い。つまりマスメディアが「性善」ではないかも知れないと懸念しているからだ。相互に批判し合う構造を社会に残しておく方が健全だというのは理解できる。


 さて、日本社会は「性悪説」へと方向転換するのだろうか、そしてそれが国民にとって暮らしやすい社会なのだろうか。



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