「「脱原発」の大衆迎合を排せ」と社説に掲げるマスメディアの異常さ。

  11/25読売新聞朝刊を広げて驚いた。大見出しで「「脱原発」の大衆迎合を排せ」と社説に掲げているのだ。


 果たして「脱原発」は大衆迎合なのだろうか。むしろ国民の悲願ではないだろうか。官僚と電力会社と御用学者と幇間評論家とギャラ目的のタレントたちがマスメディアを通して「原発安全神話」をこの国で徹底的に布教した。福一原発でそれが嘘だとバレても、特段の安全対策も講じないまま大飯原発を再稼動して「2030年原発ゼロ」を閣議決定しないで「脱原発」だと主張する民主党の欺瞞性を追及するでもなく、「脱原発」が大衆迎合だと断定する読売新聞社の見識を疑う。


 


「科学的に安全性が確認できたなら、政府が責任を持って再稼動すると自民党が明言したのは政権復帰を目指す政党として妥当な姿勢である」と愚かな論評を記述している。いったい読売新聞社の論説委員に理科系の人材は皆無なのだろうか。


「科学的に安全性を確認して」建設後40年経過した福一原発一号炉も20年稼動延長を決定していたのだろう。しかし論説委員諸氏は「科学的に安全性を確認」するとはどういうことかご存知だろうか。


 


 原子炉等は一定の物理的耐用性と安全割合を「非破壊検査」等で確認して「安全性を科学的に確認」したことにしているのだろうが、実際の原子炉内部を人が直接手で触れ目視して強烈な放射能による金属の疲労度を検査したわけではない。ましてや地球相手の東日本地震クラスの自然災害を福一原発では想定していなかった。地震と津波による電源喪失に対処すべき非常電源の自家発電ディーゼル発電装置を地下に設置していたという防災のイロハすら失念した対応には驚かざるを得ない。津波が堤防を越えれば地下は水没しディーゼル発電装置は動かないとなぜ単純に思わなかったのだろうか。


 


 「科学的に安全性が確認」できたなら、政府が責任を持って稼動すべきという自民党は自民党が政権を獲ったならどのような「政府の責任」を想定しているのか国民に提示しなければならない。科学的に安全性が確認できる、というのが一定の限界を定めて、或いは想定した条件の中でなされることを承知した上で、自民党は再稼動するというのなら「政府の責任」とは何かを実態に応じて示すべきだ。たとえば福一原発事故は実際にあってはならない「原発安全神話」が破綻した証拠だが、それにたいして自民党政権ならどのように責任を取るのか説明すべきだ。それなくしてお題目で言ったに過ぎないのなら、まさしく空念仏だ。


 


 さらに読売新聞は原発停止すればプルトニュウムが日本国内に蓄積して米国から核兵器開発をするのではないかと疑念を招くと荒唐無稽な心配事をしている。それならプルトニュウムを米国に売り渡せば良いだろう、何も猛毒のプルトニュウムを国内で保管しておく必要はない。


 全国の原子炉の使用済み核燃料保管プールは満杯状態だという。そのどのプールの水が抜け落ちてもたちまち臨界に達して核爆発を起こすという。そうした危険と隣り合わせの「綱渡りの安全性」だということを忘れてはならない。


 


 繰り返し主張する。全国の原発は直ちに廃炉に向けて作業に入るべきだ。


 福一原発放射能汚染地域をすべて国が買い上げて、そこに除染した土を運び込んで20メートル級の津波にもビクともしない巨大な丘を造って表面をコンクリートで覆い、25メートル級のプールを無数に建設して、全国の原子炉の階上に置かれている使用済み核燃料を集めるべきだ。もちろんプール建設においては最高水準の免震技術で建設し水の循環装置にしても何重もの系統を用意して安全性を高めておかなければならないのは言うまでもないことだ。


 


 福一原発周辺部に人が暮らすのは放棄すべきだ。放射能は目に見えないし匂いもないから危険性を感知出来ないかもしれないが、破壊された原子炉周辺に人が住むという発想は持たない方が良い。空気だけではなく地下水も広範囲に汚染されていると考えるべきで、地下水脈の検証が全く発表されていないのは大きな疑念を抱かざるを得ない。つまり福一原発周辺は立ち入り禁止区域としなければならない。それだけの事故がこの国の原発であったことを読売新聞社の論説諸氏は軽く見すぎていないだろうか。



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