選挙制度を真剣に議論すべきだ。

  国会議員の選出に小選挙区制度を採用している国は意外と多い。アメリカ、カナダ、イギリス、インドなど多数ありフランスやオーストランアなどは小選挙区制だが二度投票制を用いている。小選挙区で過半数を占める候補者がいなかった場合は上位2候補者で決選投票を行う制度だ。


 ただし、その内容は大きく異なる。極端な例がイギリスとアメリカだ。イギリスの場合、候補者はほとんど名前を連呼しない。その代わり政党のマニフェストを書いた上保戸別訪問で配って歩き、マニフェストの説明を行う。


 アメリカの場合は日本に近く政党名よりも個人名を連呼する。


 


 選挙制度で民主党が世襲批判しているが、それに反論して自民党は世襲議員でも優秀な議員はいる、立候補権という基本的人権に関わる問題だ、と主張している。イギリスでは同一選挙区で3等身以内の者が立候補するのを禁じている。選挙区が異なれば問題なく、候補者の機会均等が守られるとしているのだ。


 しかしいずれにせよ大きく異なるのは供託金の金額だ。フランス、ドイツ、イタリアに供託金制度はなく(フランスには2万円の供託金があったが、国民の批判により廃止された)、イギリスで9万円、カナダで7万円、オーストラリア上院が2万5千円下院が5万円、ニュージーランド2万5千円などだが、アジアの国々では韓国が150万円、シンガポール79万円、マレーシア90万円と世界の国々では高い。日本は小選挙区300万円で単独比例区600万円と世界の国々と比較するまでもなく異常なほど高額だ。


 


 日本維新の会が公認するに当たって候補者は党に100万円寄付しなければならず、選挙に必要な費用もすべて個人負担としているようだ。そうすると供託金も含めていかに短期戦といえども選挙に2000万円前後は必要で、普通の個人が選挙に投じられる金額ではない。反対に豊かな政党助成金を抱える民主党は公認候補に2000万円もの選挙活動費が渡されているという。


 ほかの政党では政党の台所事情により公認候補者に支給される金額まちまちだが、最低でも供託金は政党が用意しているようだ。だから政党を立ち上げる際に巨額な資金が必要だとされるのだ。


 


 しかし選挙にカネが必要だというのはいかがなものであろうか。供託金は泡沫候補の乱立を防ぐために設けられたものだが、その金額の異常さを批判する評論家はいない。しかし私は批判したい。


 たとえ泡沫候補であろうと国民から立候補する権利を奪うかのような高額な供託金は問題ではないだろうか。大勢が立候補すると立候補者のポスターを掲示する候補者掲示板が巨大なものになり物理的に設置困難になる、というのが最大の理由のようだ。他にも開票作業で仕分けるのが大変だとか、選挙公報が新聞のようになって結局誰も見なくなる、といった批判もあるようだ。


 


 だが、それでも世界で日本に次いで高い韓国の2倍の300万円もの供託金は政治家を志す個人の望みを砕くのに充分な金額だ。一定の得票率がなければ没収されるというのは余りにも酷くはないだろうか。


 日本もマニフェスト選挙を2009選挙で試みられたが、イギリスのように国民がマニフェストを検討して政党への投票までには到っていない。ただし、イギリスのマニフェストは細かな数字や政策はほとんど書かれていない。それよりも政党の目指す社会だとか、こうした教育制度にする、だとか、国防に関してはこうした範囲にとどめるとか、大まかな方針と政党の政治理念が語られている。


 


 日本国民は几帳面なのか、すぐに具体的な数値目標を求めたがる。しかし日本が国家として単独で存在しているのではなく為替相場でも日本の通貨当局の単独政策で決まるわけではない。世界の中に存在する国家として世界各国との付き合いと力関係で物事が運ぶ現実を見なければならないのはいうまでもない。


 それなら尚更、為替相場の現状は超円高だという認識を持つのか、それとも世界通貨のありようから仕方ないという認識なのか、その程度の各政党の認識は求めるべきだろう。


 社会保障制度に関して「毎年1兆円増加する」という刷り込みをマスメディアは頻りと行い「増税已む無し」との認識を国民に押し付けているが、社会保障費を現在の総額で抑えた場合のシュミレーションをなぜ提示しないのだろうか。総額を現行水準で抑えて最低年金を上げれば上部の突出した高額年金を圧縮しなければならないのは自明の理で、そうした議論が皆無なのはなぜだろうか。


 


 選挙制度を考える前にこの国のマスメディアの報道姿勢を批判しなければならない。「第三極」ごっこの離合集散を人生劇場のようなノリで連日取り上げて面白がっているが、マスメディアが真剣に国民の立候補する権利を考えるなら現行のお祭り騒ぎのような米国大統領選方式の選挙を再考すべきではないだろうか。


 落ち着いたイギリスの選挙のような制度を少しは参考にして、町中に大きな掲示板を設置してペタペタとポスターを貼り、選挙カーで連呼して歩くバカバカしいパフォーマンスが必要なのか、有権者も「公職選挙法」を自分のこととして考えようではないか。省資源を唱えるのなら、それこそポスターや掲示板は必要ない。テレビで立候補者が政党の政治理念を語れば良い。ネットに選挙管理委員会のホームページを設けて、そこに立候補者一人に一ページのスペースを与えて広報掲示板とし、閲覧機会の公平性確保から日毎に掲示板の掲載順を変えれば良い。そうした個人も公もカネのかからない選挙を真剣に考えよう。



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