政治家の劣化ぶりには驚くばかりだ。

  尖閣諸島をめぐり、鷲尾英一郎農林水産政務官が「中国政府が所有してもいい」と語ったという。耳を疑うような発言だ。


 確かに領有権と所有権とは異なるし、誰が所有しようと領有権まで自由に出来るものではない。中国政府が所有しようと日本の領土に勝手に中国政府が韓国政府のように火器を備えた陣地を築くことは許されない。だが、それが建前に過ぎないことは竹島ですでに明白だ。一度他国が基地を築けば、それを取り返すには戦闘行為も辞さない覚悟が必要だし、時と場合によっては戦闘行為が必要かもしれない。実際に、中国は周辺諸国と領土をめぐって戦闘行為を行ってきた歴史を持つ国だ。安易な冗談や例え話で話すべき内容でないことは明らかだろうし、政治家ならそうした常識を弁えていなければならないのはいうまでもない。


 


 野田首相は鷲尾英一郎政務官を直ちに罷免すべきだ。失言する程度の政務官は必要ない。農水省はTPPを挙げるまでもなく、国民の食生活の基本的部分を担っている。それは日本の安全保障に直結する。国民を餓えさせていかなる文化的国家も存在しないし、安定的な食料確保を国が責任を持たなければならないのはいうまでもないことだ。


 日本は農水政策を経産省管轄の経済政策のために犠牲にしてきた歴史がある。ガットウルグアイラウンドにより他の輸出を認める代わりにコメも一定割合の輸入すべきと迫られて呑まされた。米国などにすれば日本の自動車輸出は国内産業に打撃を与えているが、すでに小麦はほぼ100㌫米国が牛耳っているし、コメも米国のカリフォルニア米がある程度輸入され、日本のコメ消費の一定割合を占めれば、いよいよ日本の胃袋を米国が握ることになる。それこそ米国の安全保障として欠かせないことだ。


 日本が日本国内から米軍基地を撤退しろと迫って来れば、食料輸出を止めるぞと脅せばよい。一定割合に過ぎなくとも米国産のコメが安価にして日本のコメと変わらない味だと分かれば日本国民の輸入米に対する拒絶心も時の経過とともに次第に薄れるだろう、という米国の長期戦略を日本政府は見抜かなければならなかった。


 


 現在では中国米が日本にジワリと輸入され消費されている。食は国民生活に欠かせない安全保障の重要な要素だ。中国米が輸入されることを恐れるのではなく、中国米に日本国民が鈍感になり、安くて味が変わらなければ中国のコメで良いではないか、と中国の長期戦略にマンマと乗る国民が出現し数を増やすことを警戒しなければならない。


 TPPで米国は何を目指しているのか、という目的を見抜かなければならない。日本国内に米軍基地を展開し、特に首都圏への集中ぶりを見れば日本の独立性は危ういと危惧するのが普通の感覚だ。のど元に匕首を突きつけられている日本は米国に何一つ反論できない立場にある、と認識すべきだ。そうした軍事のみならず食までも完全に牛耳られれば日本の立場はどうなるのか。深刻な問題だと受け止めない者に政治をやる資格はない。


 


 国家間の互恵関係は何も形式的な問題ではない。長期戦略面でも「互恵関係」でなければならない。米国はTPPを仕掛けて現代の「帝国主義」を確立しようと目論んでいる。どうやら西部劇のヒーロー精神はいまだに米国民の中に温存され、完全掌握しなければ気が済まない国民性のようだ。


 そうした国と日本は同盟関係にある。牛に喩えたら米国に悪いかもしれないが、かつて牛を田畑を耕す労働力として飼っていた。人間の力では及ばない強靭な力を発揮したが、その場合「サイタケ」が必要とされた。牛の鼻輪に通した竹を「サイタケ」と呼んでいたが、その操作を誤ると牛は角を突き立てて人間に向かってきて命を落としかねなかった。牛は労働力として必須だったが、そうした危険性も有していた。


 米国は日本の防衛に必要だとされているが、それも程度問題だ。どこまで付き合うべきか、政治家なら腹の中に「長期戦略」の覚悟を決めて、にこやかな顔で米国と話が出来なければならない。そうした戦略性がないと判断すれば、政治家になるべきではない。国会議員はタレント性で票を集めれば当選できるかもしれないが、それはタレント議員であって、国の将来を託せる政治家ではない。



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