民・自・公「野合翼賛政治」には社会保障制度改革を仕上げる責任がある。
消費増税には社会保障改革に資するためとの大義名分がある。だから消費増税を成し遂げた民・自・公「野合翼賛政治」には社会保障制度改革を仕上げる責任がある。それを成さずして消費増税だけを抓み食いするのでは三党合意の筋が通らない。
社会保障制度が行き詰っている、というのは官僚たちの試算がそうなっているという話に過ぎない。現行制度をそのまま維持すれば、という前提で支給対象者数の予測と一人当たり支給額の予測から「社会保障制度は破綻する」と官僚たちが騒いでいるに過ぎない。
たとえ現行税度を維持するにしても、現行水準以上の国庫からの繰り入れが無理だというのなら社会保障会計の中で遣り繰りすれば良いだけのことだ。それを一体何を騒いでいるのかと、むしろマスメディアや官僚たちの魂胆の方が訝しいく思える。
つまり高額年収所得者は定年退職後の年金生活でも高額な年金が保障されなければならないと考えているようだ。
しかしちょっと待ってもらいたい。医療保険は応能負担制度ということで、高額所得者は高い医療保険料を支払っている。低所得者は少ない保険料の支払いで、いよいよ低所得者には医療保険料免除制度も設けてある。
だが罹病して医者に罹ると高額保険料を支払っていた者は窓口負担が少ないとか、入院の場合は優先的に個室が宛がわれるということもない。反対に、医療保険料免除だった者は安い薬しかもらえない、ということもない。つまり給付において一律だというのが医療保険制度の根幹だ。
だが年金に関しては社会保障の概念が違っている、というのが日本では常識になっている。公務員だった者には手厚く、国民年金者にはいたって厳しく適用されている。低所得で国民年金保険料免除の者は支給される年金額は半減される。年金に限っていえば支払い保険料は「財産権」とみなされている。それでもおかしいのは、公務員は個人負担共済掛け金の2倍が国金から繰り入れられて、公務員共済年金は厚生年金より2倍お得な制度になっている。
日本の年金制度は2重の意味で不公平だといわざるを得ない。選択した職業により加入する年金制度に差別があり、それぞれが「歴史的理由」があるとして一体化に少しも歩み寄らない。それどころか国民年金は満額掛けても暮らせる最低限の目安とされる生活保護費よりも遥かに少ない。しかし、官僚も国会議員もそのことを本気で議論しようとはしない。だから国民年金の保険料の収納率は6割を切っているという。国民年金を掛けるよりも生活保護を申請するほうが有利だと誰もが思うし、そうする人たちを非難する方がどうかしている。
生活できない国民年金を放置して、一体何が「年金改革」だというのだろうか。社会保障のあり方は原則一律支給で、負担は応能負担というのが原則ではなかっただろうか。
問題なのは支給年金額が少なくなるからではなく、生活できない国民年金制度を以って「社会保障」と称する欺瞞性だ。2009民主党マニフェストに掲げた最低補償年金制度は正しい年金のあり方を示した。勤労諸隊の平均年収を超える年金が子育てもなければ子供の教育費も要らない老人所帯に必要なのだろうか。
果たして近所の教師として共稼ぎだった老夫婦は毎月のように海外旅行に出掛けている。それでも生活に困らない年金を頂戴して大きな顔をしている。そうした生活を支えるために労働年齢の若者たちは重い年金保険料を支払っているのだろうか。かたや食うや食わずの年金生活者が孤独のうちに餓死しているという笑えない現実をどう解釈すればよいのだろうか。消費増税だけ血眼になって国会議員の尻を叩いた財務官僚たちよ、社会保障改革が一向に進まないのに少しは胸が痛まないか。