住宅ローン減税には賛成だが、
消費増税の影響を最も受けるのが高額商品の住宅だ。しかも個人支出に与える影響も大きいのが住宅でもある。個人の住宅取得は広く様々な産業の需要を引き出す効果が最も大きいといえるだろう。
その住宅取得を個人がし易い仕組みを考えるのは政府の仕事だ。現行の住宅減税制度は限度額2000万円までの住宅ローンの支払いに関して所得税や住民税の軽減を行うものだが25年入居までで切れる租税特別措置だった。それを延期し、最高限度額も5000万円にしようとするものだという。
住宅減税はもちろん賛成だ。しかし制度のあり方にはいささか異論がある。普通のサラリーマンで組める住宅ローンの限度は大体幾らぐらいだろうか。5000万円というのは論外だろう。月々の返済額が10万円を超えて普通のサラリーマンでは生活出来ない。
平均勤労者所得で考えれば生活できる住宅ローンの限度はおおよそ3000万円ほどではないだろうか。それ以上の住宅ローンは生活する上で無理が生じて破綻する可能性が高い。むしろ5000万円もの高額なローンがあたかも手の届くものであるかのような幻想を国民に与えてはならない。
最高限度額の上限を現行の2倍以上に引き上げる必要があるのか、税制のあり方でもう一度議論すべきだろう。そして減税金額の割合を引き上げることも考慮すべきだ。
持ち家制度よりは賃貸住宅の方が傷害可処分所得比較や国民の生活設計で有利だという議論もある。しかし国民の住宅取得による財産形成は社会的移動性を制限するものかもしれないが、それでも住宅取得は社会の安定性を増すものとして歓迎する。
一所懸命、というのも実は必要だ。地方なら地方に留まって、生涯を地域社会と家族のために生きることも評価されるべきだ。何も東京や大都会へ出ることだけが人生ではない。大都会と地方の所得格差があるため、大都会で議論される各種制度は地方居住者の目で見るとおかしなものもあると感じられるものもある。
低金利で超金融緩和だといわれているが、実際の生活感では現在も緊縮金融時代のままのようだ。その最たるものが住宅ローンの審査の厳しさだ。
倒産の心配のない公務員ならいざ知らず、地方では名の通った会社に勤務するサラリーマンでもなかなかローン審査に通らない。住宅を取得しようとしても銀行が大きな関門になっている場合がかなりのパーセントで存在する。
政府は国民が住宅を取得する場合には何らかのアシストをする必要があるのではないだろうか。従前のような住宅公庫を作れというのではない。そうした役人の組織と権限の肥大化には反対だ。しかし住宅ローンに限っては政府で銀行の貸し倒れ引当金の半額は引き受ける、という銀行が貸し出しを大胆に行える制度を設けることも必要だ。
景気回復のために住宅建設の果たす役割は大きい。しかし、それが国民生活を破綻させる引き金になってはならない。安易に限度額を引き上げるのには賛成しかねる。それよりも住宅ローンが借りやすい環境づくりに政府は知恵を絞るべきだ。
銀行がなぜローンの貸し出しを渋っているのか、それよりも系列のサラ金にせっせと貸し出して金利をピン撥ねする商売に専念するのはなぜなのか。銀行家までもが劣化して、地域経済や国家経済のありかたを失念して「企業経営」だけに特化しているのか。かつての公的存在としてのバンカーの誇りと責務を再考すべく猛省を促したい。