閣議や閣僚懇談会の議事録を作り、30年後に公開するという。

 実質的な政策の決定機関となっている閣議や閣僚懇談会に議事録の作成が義務付けられていなかったというのにまず驚く。公的な仕事を公的な費用を用いて行う機関が国民に報告すべき議事録を作成していなかったとすれば問題だ。


 国家体制を民主主義と規定した時から、あらゆる公的な機関は国民の権利を代行するもので最終的に国民に対して責任を負うものと規定されている。だから戦前の天皇の臣下という立場とは明らかに異なり、天皇の御前会議で最終決定する時の慣例がそのまま政府に残っていたとしたら早期に改めるべきだ。


 


 何も存在する公的な機関の議事録作成とものすべてを公開すべきは政府だけではない。裁判所や検察及び警察など、直接人権の抑制に大きくかかわる機関はなおさらだ。


 今度の成り済ましメール事件ではどのような取り調べが行われどのような根拠から逮捕状を請求し裁判所はどのような観点からそれを許したのか、すべてが明らかにされなければならない。


 公判中であろうと、取り調べ調書などは被告人本人や弁護士に対しては公開されるべきだ。まさしく否認している事柄がどのような経過から自供に到ったのか、冤罪の作られる過程が浮き彫りになっているはずだ。


 


 検察や警察の取り調べの議事録を公開して冤罪を防ぐことはもちろん、可視化してビデオに残すことはそれ以上に必要だ。被疑者の人権は未決拘留により束縛され、極端な抑圧状態にある。そうした状況で自供の強要や誘導があったとすれば由々しき問題だ。自供尊重主義をやめて証拠尊重へと捜査を変えるべきだ。可視化されたビデオの関係者たちへの公開も義務付けるべきで、捜査当局の暴走を止め国民の人権を守る社会を構築しなければならない。


 さらに言及すれば、検察審査会の議事録も公開すべきだ。判決を下す裁判員制度では裁判員は公開の公判で素面を晒し、判決言い渡し後には記者会見までする。それに対して検察審査会の秘密主義には前近代的な胡散臭さを感じさせる。私は小沢氏に対する東京地裁第五検審会のことを言っている。裁判所は検審会のすべての議事録を直ちに公開すべきだ。


 


 民主主義国家では公的機関のあらゆる会議は国民に帰属する。すべては権力者の私物ではなく、国民から負託された権利の行使に過ぎず、国民に対して責任を負う。民主主義の基本原理に鑑みれば閣議に議事録の作成を義務付け30年後に公開するのは至極当たり前のことだ。謀略の臭い芬芬たる米国ですら30年公開原則は確立されている。遅きに失した感があるが、国会で30年公開原則の法案を議決し、公的職務に就く者は国民から負託された権利を行使し、国民に対して奉仕していることを忘れないようにすべきだ。



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