政治は世襲で事足りる世界なのか。
高齢を理由に連続当選を果たしてきた政治家が引退する場合、その多くが子息を後継者として指名するケースが多い。その方が長年培ってきた地盤をスムーズに引き継ぎ出来るからだというのが理由のようだが、政界とは世襲で事足りる世界なのだろうか。
現代で世襲により家業を引き継いでいる世界がどれほどあるだろうか。まず歌舞伎や家元制度の踊り、茶道、花道などが最たるものだ。次に家元制度に準ずるものとして陶芸や落語、料亭の料理人などが挙げられる。よほど適性を欠かない限り、後継者として世間を渡っていける。
その反対に世襲ではなかなか難しいのがスポーツの世界だ。野球の名選手の倅が必ずしも名選手でないのは数多の例で知っている。力士の場合は体質的な面と環境が大きくものをいうのか、世襲でも実力の世界で力を発揮している例が多い。
さて、政治の世界では戦後だけでも三代世襲というのは珍しくなくなった。それほどチョロイ世界なのだろうか。しかし世襲がもたらす弊害に気をつけなければならないのも確かだろう。
英国では世襲そのものは禁じていないが、同一選挙区から世襲候補が出るのは禁じられている。つまり世襲により特定の人間関係が引き続きその地区で蔓延るのは許されない、ということだ。日本でそうした規定を創ろうとすると「職業選択の自由」に反するとして、与野党から轟々たる批判が起こった。職業選択の自由の方が既得権益の継承打破よりも優るということのようだ。いやはや、なんとも困った人たちだ。
歌舞伎役者の家柄に生まれた子息を芸能記者が追い回し、それに煽られて歌舞伎ファンが熱をあげる、という構図が政界にも定着して来たようだ。小泉郵政劇場を演じた父親が倅に後継を託すや、小泉ジュニアを芸能記者よろしく政治記者が追い回し、一挙手一投足を細大漏らさず報道して小泉ジュニア旋風を巻き起こす。かつて、総理大臣を目前にして急死した安倍晋太郎の後を受けて現れた倅・晋三氏を政治記者が持て囃した。
人気とは一体なんだろうか。人気も実力のうち、と政治の世界ではいわれるが、人気と政治的手腕とは別物だろう。しかし選挙の投票行動は一種の人気投票と類似していないだろうか。
橋下氏の「この指とまれ」の掛け声で、大阪維新の会は既成政治家や政治家の卵や似非政治家たちがドッと集まっている。それほど政治家が人気のある職業なら、報酬額を引き下げるのが経済原則だ。それは公務員にもいえるだろう。人気の職種なら報酬額を引き下げるのが普通の経営感覚だ。そうした普通の議論が提起されないところが、この国の異常さかもしれない。その元凶は官僚にあるのだが。