胸を張って堂々と靖国神社に参拝し、英霊に感謝の念を捧げよう。

 国と国民を守るために戦死した英霊に対して今を生きる国民が感謝の念を捧げないでどうするのだろう。独裁国家ならまだしも、日本が戦った戦争に「良い戦争」や「悪い戦争」があるわけがない。先人たちが已むに已まれず戦争という手段に国際関係の解決を託したに過ぎない。


 


 先の戦争で多くの人たちの命が喪われたと非難する人たちがいる。アジア諸国に対して大変迷惑をかけたと今も懺悔する人たちがいる。それは歴史を知らない人たちの妄言だ。


 当時、世界は帝国主義の真っ盛りだった。欧米諸国は植民地を求めて世界各地で群雄割拠していた。戦前アジアで独立国は日本とシャム(タイ)の二ヶ国だけだった。


 


 そうした事実を踏まえた上で、戦前の日本は語られなければならない。単に「戦争大好き」な日本軍部がアジア諸国や世界を相手に殺戮に興じた、というのではない。


 先の戦争はアジアで唯一の覇権国家日本を叩き潰そうとする欧米諸国の思惑により仕掛けられた戦争だ。圧倒的な軍事力の差異は解っていたし、軍部も到底勝てる戦争とは思っていなかった。しかし已むに已まれず開戦するしかない立場へと追い込まれた。


 


 昭和26(1951)年5月、アメリカ上院の軍事外交合同委員会で、ダグラス・マッカーサーは「日本の戦争は自衛戦争だった」と証言している。自分が日本の立場なら、やはり開戦しか選択肢はなかったと言っている。


 日本国民だけが一体いつまでウジウジと「二度と過ちは致しません」なぞと寝言を言っているのだろうか。現在も世界は苛烈な仁義なきパワーゲームの中にある。日本が「降りた」と言ったところで何の効力もなく、相手国から舐められ国土と国益を奪われるだけだ。


 


 米国が世界平和の正義のために戦っているのではない。米国は米国民の正義のために戦っている。日本を含む極東は各国の正義が独善性を競う世界の発火点の一つだ。そうした日本を取り囲む近隣諸国のパワーゲームに翻弄され、ただただ世界で唯一「謝罪」外交を続ける愚かな政府を持ち続けている。


 日米安保体制は麻薬の一種だ。カネで米国の軍事力を買い、周辺諸国からの脅威に用心棒として立ち向かってもらい、日本国民は直接戦闘行為に参加しないで安逸を貪れる、と考えてきた。


 


 しかし、それは日本の立場だ。米国はまた違った景色を眺めているだろう。つまり米国本土防衛のために朝鮮半島はいつまでも分断国家として最前線に仕立て上げ、日本を二次的防衛ラインとして位置づけているのだろう。本格的に中国かロシアと戦争が始まれば、米国は日本を戦場として戦い、それでも不利となれば直ちに引き上げて核兵器を日本の国土で使用するのも厭わないだろう。米国とは、そうしたプラグマティズムの国だ。


 


 世界の国々では常識だが、国土と国民はそこに暮らす国民が守る。それが嫌なら国土を奪われて流浪の民になるしかない。あたかもロシアが北方四島を火事場泥棒さながらに奪って、終戦時に住んでいた3,124世帯17,291人の私財を奪い追放したように。


 日本はまだ終戦を迎えていない。戦後だというのはまやかしだ。島民たちが北方四島に帰還できない限り、日本は百年戦争を戦っている。この戦争を遂行するためにも英霊を英霊として尊崇しないで誰が国家と国民のために命を懸けて戦うというのだろうか。「二度と過ちは致しません」などという戯言をいっている限り、近隣諸国は安心して日本の国土を奪いにやって来る。



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