お節介を焼こう。
ここのところ次のようなニュースに接する機会が多くなったと感じる。
< 山形県警村山署は30日夜、生後2カ月の長男を暴行して死なせたとして、同県東根市神町北1のパート従業員、楯岡祥子容疑者(21)を傷害致死容疑で逮捕した。逮捕容疑は今年3月中旬、自宅で長男友真ちゃんの頭を柱に打ち付けて頭蓋骨(ずがいこつ)骨折などを負わせ、頭蓋内損傷で死なせたとしている。楯岡容疑者は「頭を柱に打ち付けた」と容疑を認めている。(以上「毎日新聞」引用)>
赤ちゃんは理屈抜きに可愛いものだが、母親にとって子育ては大変な重労働でもある。母親なしには存在しえない命を引き受ける責任感も若い女性とって想像を絶するものがあるだろう。だからこそ神は母親に子育ての喜びを与えているのかもしれない。
しかし心身ともに疲れ果て、心が委縮して上記のような悲惨な犯罪が起こっているのも真実だ。そうした若い母親を支えるために行政も様々に制度を用意している。母親教室を開いたり、保健婦を巡回させたりしている。だが、そうした行政の仕組みから漏れる母親もいる。いや、あるいは行政と関わるのが苦手で、自ら没交渉の殻に閉じこもる母親がいるのも事実だろう。
だからといってすべての責めを母親に課したところで喪われる子供の命は救われない。かつて日本が大家族主義だった頃には祖母が若い母親の子育ての手助けの一翼を担った。「おばあちゃん子」と呼ばれる子供がいたものだ。
核家族化が進み、今ではシングルマザーと呼ばれる若い母親も数多くいる。駄目な父親はいない方が良いだろうが、それでも一人で子育てするのは容易ではない。社会の仕組みとしてシングルマザーを支える制度が何よりも必要だが、地域社会も積極的に「お節介「を焼こうではないか。
せっかくこの世に生を受けた命を成人になるまで地域社会が暖かい目で見守る「きずな」が必要ではないだろうか。余計な御世話だ、と迷惑がられようと乳児を抱える母親に声を掛けよう。上から目船ではなく、子供は地域の宝という意識で若い母親を励まし手を貸そう。
苦しい子育ての時期はあっという間に過ぎ去る。歳月とともに子は育つ。育てば必ず地域の力となる。若い母親を犯罪者に追い込まないためにも「お節介」を焼こう。