残念な結果に終わった山口知事選。

 実質的な盤石な保守地盤と宗教団体に支えられた自・公候補の山本氏対脱原発候補の飯田氏の戦いだったが、盤石な保守と宗教団体に支えられた山本候補が当選を果たした。


 飯田氏を草の根の一人として支援した者として残念の一言だ。盤石な保守地盤と表現されるように、山口県は民主党に風の吹いた2009総選挙ですら4小選挙区のうち2区一つしか奪えなかった。あとの3選挙区は自民現職が当選していた。


 


 2区に暮らす者として10年以上も民主党候補を支援し、自宅前には民主党現職の看板を設置していた。が先日彼が「消費増税」に賛成したのを確認し、看板の撤去を後援会事務所に申し入れた。今は民主党国会議員の看板はない。


 いつか来た道を再び自・公は歩き始めたようだ。民主党を熱烈に支持した風がやみ、今は民主党に対して逆風が吹いている。何人かの知人と政治の話をしても誰一人として民主党を擁護しなくなった。今解散総選挙があると野田民主党が壊滅的な結果になると予想するのは正しいだろう。


 


 山口県の厚い保守地盤とは何だろうか。確かに明治維新の立役者として鹿児島と共に役目を果たしたが、維新の元勲たちは山口県を去り東京の住民になってしまった。むしろ山口県に残っているのは維新戦争で華々しく凱旋したものの禄を奪われて冷遇され、明治二年に大規模な反政府軍事行動を起こし山口に迫ったが、木戸・井上の率いる政府軍に撃破された残党たちの末裔だ。


 


 そうした構造は今も変わらず、選挙の時だけ東京から帰って来た候補者たちが「故郷の皆さま」と有権者を持ち上げて票を集める。そして山口県民は東京の住民となった故郷出身の政治家たちに地元への利益誘導を期待する。それに応えて来たのか、山口県の道路舗装率は素晴らしく、山間僻地まで立派な道路が走っている。


 


 その一方であらゆる県民指数は低下し、義務教育施設の耐震化率などはワースト2に甘んじていた。人口も減少の一途をたどり周南市長なども「縮小社会へ向けて」などというバカげた随想を市広報紙に連載している。


 暮らしやい町100で、山口県からは下松市の10台と柳井市の40台入りだけだった。平成の大合併で下松市は頑なに県の指導を拒んでどことも合併せず、柳井市も大畠町とだけの合併に止まり、田布施町や平生町、上関町などは柳井市との合併に加わらなかった。つまり平成の大合併に背を向けたか失敗した町が「暮らしやすい町」として認定されたのだ。平成の大合併が地域社会に何をもたらしているのか、大合併の意味を問わなければならないだろう。


 


 しかし県を作っていくのは県民だ。厚い保守地盤と称されるものの実態は東京に暮らす政治家たちが哺乳瓶を抱え各種企業や団体はその乳首に吸いつこうと集票する構造だ。しかし、いつまでも乳首に吸いつこうとする浅ましい姿を恥じなければならない。


 そうした姿勢そのものが松陰先生の教えに反する行為だと気付かなければならない。自主独立、草モウクッキとは東京の政治家が差しだす哺乳瓶に吸い付くことではない。しかし松陰先生の教えを受けた者の大半は維新までら落命するか、生き残った者も維新後に東京へ去り、わずかに萩に残っていた連中も明治8年の萩の乱で前原たちと共に賊として討ち取られた。


 


 民主党政権に政権交代しても、民主党の体たらくから東京の自民党政治家たちが差しだす乳首は生きていると実感した各種企業や団体は山口県知事選で活き活きと活躍し、厚い保守地盤を県民に確認させた。


 野田民主党の「三党合意」談合で行った罪悪は余りに大きい。二大政党による政権交代のある政治風土へ脱却すべき壮大な政治実験を台無しにしてしまった。官僚たちの政治課題を実現するために、国民の政治への希望をぶち壊した。理念に基づく政治を反故にし、場当たり的なその場凌ぎの政治へ逆戻りした。国民を哺乳瓶の乳首に吸いつく「現金主義者」と、そうした利権誘導政治に背を向ける「理念主義者」とに峻別させた。野田氏の最たる罪は地方に根を張る自民党型政治家たちを蘇生させたことだ。その罪たるや万死に値する。



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