社会保障の基本的なあり方とは。

 自民党は「自助、共助」を上げて、基本的に「給付」を否定して来た。それはそれで一つの考え方だが、むしろ社会保障というよりも保険会社の掛け金と給付の考え方に近いものだ。


 つまり掛け金を掛けていない「無年金」者がいても仕方なく、多く保険料を支払った者は掛け金に応じて高額な年金を頂戴しても良いというものだ。


 しかし、それは社会保障とはほど遠いものだと何度も指摘して来た。「自助、共助」を掲げるのなら、これまで支払って来た年金保険料の総額を算出して平均寿命の期間に案分して支払うのが筋だ。だが、現行の年金はそうはなっていない。


 


 民主党が2009マニフェストで掲げた最低年金保証制度は社会保障の趣旨に沿うものだった。つまり文化的で最低限の暮らしを送る権利を日本国民が等しく持っているのなら、それを保障すべく年金を支給しなければならない。保険料を支払っていない無年金者にも支給するのは「ケシカラン」というのでは社会保障ではない。それは保険料を運用する保険会社の商品としての年金保険の概念に近いものだ。


 どんな国民であろうと齢を重ねて65歳になれば国家が最低の暮らしを送れる年金を支給する、ということにどれほどの問題があるというのだろうか。財源は高額な年金を手にしている人たちに上限設定をすればよい。


 


 年金に「財産権」や「取得権」があるから現行制度を改廃してはならない、というのが自・公の年金制度への考え方だが、老人所帯で月額25万円以上の年金を国家が保障するのも「社会保障」なのだろうか。年収に直すと300万円になる。これほど高額な年金受給者が公務員では平均的に存在する。


 また社会保障の年金とは別に、議員年金で長年国会議員や都道府県議員を勤めていた者たちには300万円以上の年金が支給されている。合計すると実に高額な年金を手にしている勘定で、そうした「既得権」の存続が許されるのだろうか。国会議員年金は廃止となったが、都道府県議員や市町村議員年金は廃止されていない。既得権の存続は国家財政立て直しが喫緊の課題となっている現在の日本で許容される範囲を逸脱していないだろうか。


 社会保障年金とその他の年金との在り方も合算して論じられなければならないだろう。現在では総合計した年金が年間400万円を超えるモノには減額処分がなされているが、減額処分ではなく打ち切りとすべきではないだろうか。つまり各種公的年金を手にしている者も総額は年額400万円を超えないとすべきではないだろうか。そうすれば年金会計にかなり余裕が出るのは間違いないだろう。膨張する社会保障の年金会計の財源の確保から「消費増税」をする必要なくなり、「消費増税」を社会保障へ回す、などという嘘を国民につく必要はなくなる。


 


 夫婦共公務員として働いていた所帯は損をするではないか、それなら形の上で離婚して一人が年間300万円貰った方が得ではないかという議論が当然出て来るだろう。それなら独り暮らしの者には上限を年間240万円などと設定すれば良い。


 最低年金は一人月額10万円を保障することだ。7万円などとケチなことでは65歳以上の生活保護を廃止することは出来ない。最低保障年金を10万円として、65歳以上の生活保護を廃止すれば相当な財源が捻出できることになる。それでも最低年金者と高額年金者とでは2倍の開きがある。それ以上の高額年金を受給している現行の高額年金受給者たちは心が痛まないのだろうか。正社員の勤労者年収の平均が426万円程度しかない現在、子育ても教育費負担もない老人世帯の暮らしでそれほど高額な年金が必要なのだろうか。若者世代に過重な負担を課して平気なのだろうか。


 


 高給取りの官僚たちや学識経験者と称する高給取りばかり集まって年金制度を議論しては高額年金が「オカシイ」と思う感覚は議論の中にないのだろう。是非とも年金の議論には各所得階層の人たちを入れて、もちろん無年金者も入れて議論すべきだ。貧乏人の目から見える世間は高給取りの官僚たちの目に見える世間とはまた違うことを知らなければならない。



このブログの人気の投稿

それでも「レジ袋追放」は必要か。

麻生財務相のバカさ加減。

無能・無策の安倍氏よ、退陣すべきではないか。

経団連の親中派は日本を滅ぼす売国奴だ。

福一原発をスーツで訪れた安倍氏の非常識。

全国知事会を欠席した知事は

安倍氏は新型コロナウィルスの何を「隠蔽」しているのか。

自殺した担当者の遺言(破棄したはずの改竄前の公文書)が出て来たゾ。

安倍ヨイショの亡国評論家たち。