財政再建は今も昔も同じだ。

  財政再建に高邁な経済理論を振り回す必要はない。今も昔も同じことだ。


 かつて長州藩は年貢収入の37年分に及ぶ巨額な赤字に逼塞していた。毛利敬親はそのため参勤交代の露銀の目途のつかないまま萩を出発したものの、借用を当てにしていた大坂の豪商鴻池に借金を断られ、一ヶ月も足止めを食らう失態を満天下にさらした。


 


 毛利敬親は系譜からいくと藩主になれるか危うい傍系だったが、銀8万貫もの借財に押し潰され逼迫した藩財政に恐れをなして成り手がなく、18歳にして神輿に据えられるようにして藩主になった。すると毛利敬親は江戸用談役という閑職に飛ばされている元萩明倫館の教授を勤めていた家禄25石でしかない郡奉行格の56歳の当時としては老人を思い出した。


 村田清風はかつて藩財政改革の建白書を提出したものの、一顧だにされず未決裁文書の中で埃にまみれていた。19歳の毛利敬親は江戸用談役の村田清風をいきなり政務役に登用し藩政改革を任せた。


 


 村田清風の断行した藩政改革は「四白政策」として名高い。つまり米・塩・紙・蝋の四つの白い特産物の生産と増産を奨励する殖産興業策を断行した。それだけではなく、藩特産物の交易を藩が一手に握り「会所」を三関と称する港、つまり東から上関(今は原発問題で揺れている)中ノ関(現在の防府)下関に設置し藩が独占した。当時の上級武士たちは「我らは恰も商人のようではないか」と不満タラタラだったという。


 


 同時に徹底した倹約を行った。藩主毛利敬親にも絹布ではなく木綿を着用するように進言すると、毛利敬親は自ら木綿を着用し、藩政改革が成って西南の雄藩と称されるようになってからも生涯綿布を着用したという。


 そして巨額な借財の35年間据え置きを宣言し、大坂の豪商たちを慌てさせた。その意趣返しが一月に及ぶ大名行列の大坂足留だった。


 


 その後は皆様も御承知の通りだ。僅か数年にして長州藩は財政危機を乗り切り、雄藩として維新に活躍する財政的根拠を得た。いかに高杉晋作や桂小五郎が出ようと、潤沢な藩財政がなければ彼らの活躍は叶わなかっただろう。


 野田氏が大きな顔をして国際会議へ出て行けるのも国民の勤勉な勤労により蓄積された国富があるからだ。それを官僚たちは濫費し、なおかつ国庫が空になるや「消費増税」を国民に課そうと目論む。


 


 江戸時代、年貢は四公六民だった。つまり農民の公的負担割合は4割だった。それを藩財政逼迫を理由に五公五民に引き上げると、決まって百姓一揆が多発した。それは長州藩でも同じだった。村田清風以前の長州藩も他藩と同じく重い年貢を課して、度重なる農民一揆に悩まされていた。


 


 官僚が毛利敬親の綿布着用の精神を汲んで歳出削減努力をしなければどんな財政再建策も成功しない。まず魁より始めなければ膨大な財政赤字の山は積み重なるばかりだ。僅か13.5兆円の「消費増税」をして国民経済を破綻へ追い込むよりも、経済成長のための殖産興業をなぜ振興しないのだろうか。そして対GDP14%にまで落ち込んだ貿易を中国並みの36%にすれば国内景気は劇的に回復し、税収も国民に過重な負担を課すよりも好景気による自然増の方が遥かに多いだろう。温故知新を忘れてはならない。



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