社会保障費の総額抑制はしなければならないが、

 与野党の修正協議が始まることになったが、社会保障費のあり方を巡る議論はチャッチャと決められることではないだろう。政局絡みの引き延ばしだナンダカンダといった政党の綱引きの道具とさせずに、徹底した議論が必要だ。まず大枠としての社会保障のあり方を決めなければならないだろう。


 


 現行の国民年金を「基礎年金」として、厚生年金と共済年金をその上に置くという年金制度そのものの考え方に賛成できない。


 年金保険料は将来手にする年金額の多寡に応じて差がある、とする現行の厚生年金や共済年金の考え方は「社会保障」というよりも民間保険事業の「年金給付対応保険料」とでもいうべき仕組みだ。


 


 そもそも社会保障として支給される年金に格差があって良いのだろうか。就職によって年金が個々人で異なり、雇用主による負担のない国民年金は保険料が一律で満額納付の場合の満額給付でも月額6万6千円と暮らせない額でしかない。厚生年金と共済年金はそれを基礎として上乗せする年金だから加入期間が40年の場合は必ず国民年金より多い仕組みになっている。しかも現役時代の給与の50%を何とか支給しようとするのだから、高給取りだった者には高額な年金が支給されることになる。たとえ現役時代の30%に支給額が落ちても、例えば1000万円の年収があった者は300万円の年金を年間に手にすることになる。


 


 年間300万円もの年金は社会保障の枠を超えていないだろうか。既に子育てもない教育費の負担もない老人世帯の暮らしに年間300万円も年金を支給しなければならないのだろうか。確かに人は欲なものである。少しでも多ければ嬉しく、少なければ不満の心が湧きあがる。しかし社会保障とは人として最低の暮らしを可能にするセイフティネットのはずだ。現役世代に過重な負担をかけてまで老人世代が優雅な暮らしを送って心が痛まないのだろうか。


 


 それに反して社会保障というからには人として暮らせるだけの最低年金を保障するのは当然だ。民主党の考え方が正しく、自民党のいう「現行年金制度を維持する」という考え方は保険料の多寡に応じて年金額をより多く比例させる高額所得者だった者により多くの年金を支給する格差温存年金制度でしかない。それが「社会保障」という概念に合致するのだろうか。セイフティネットとというよりも現役時代に高額所得者だった者の暮らしを老後も保障する現役時代の格差を老後も維持することでしかない。それが「社会保障」の概念と合致するのか、根本的な議論を国民の前で展開すべきだ。そして社会保障制度の制度改定の会議に貧困層も参加させるべきだ。官僚たちや「学識経験者」や政治家たちだけで議論して広範な国民の各層に配慮の行き届いた「社会保障」制度が作れるとは思えない。


 


 社会保障の総額を抑制する、という議論は賛成だ。しかし、だから暮らせない国民年金はそのままに放置して良いという議論には賛成できない。最低年金は生活保護費ともリンクさせてしっかりと議論して国民的合意を得て決めるべきだ。ただ総額として社会保障費が増大しないように高額年金を抑制すべきだ。老人所帯が必要とする年金とは幾らなのかを試算して国民の前にすべて明らかにすべきだ。


 


 現行制度は高額所得者だった者が幾らの年金を手にしているのかをはっきりと多くの国民は知らない。公務員だった者が幾らの年金を手にしているのかも多くの国民は知らない。そこに官民格差があるとしたら由々しき問題だ。公務員だった者が現役時代の恵まれた年収と共に恵まれた年金も手にしているとしたら、国民は断固として「消費増税」に反対するだろう。恵まれている者を更に恵まれた者とするための社会保障とは一体何だろうか。


 最低年金の充実こそが「社会保障」には必要だ。生活保護が老人世帯には必要のない年金支給を目指すべきだ。



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