無免許でも「習熟」していれば危険運転に当たらない、という噴飯もの。
京都府亀岡で起こった無免許運転者による3名死亡事故で危険運転に当たらない、と検察が認定したのはまさしく噴飯ものの判断だ。
無免許運転でも繰り返し行って習熟していれば「危険運転」ではない、というのなら無免許運転の奨励になりはしないだろうか。この国の検察判断によると無免許で未熟な技術によって人身事故を起こせば「危険運転」だが、繰り返し無免許運転という法令違反を繰り返して運転に習熟していれば最高刑20年の懲役ではなく、最高刑7年の「過失事故」に相当するのだそうだ。
無免許運転は明らかに「未必の故意」を形成するのではないだろうか。そうではない、と判断するのなら全国の自動車学校は要らなくなる。勝手に無免許者は路上で訓練して技能を習熟した上で免許試験場へ行けば良いだろう。
技能に習熟した無免許運転者に「事故を起こしてやろう」との故意がないから危険運転は問えない、というのならこの国の法律を順守して免許証をキチンと取得して運転している人たちの規範意識と相容れないのではないだろうか。
泥棒の最高刑は懲役10年だが、交通事故の「業務上過失致死」は最高で懲役7年だ。人の命を奪っても、何人奪っても、それが過失なら最高刑懲役7年で済む。こんなバカな話があるだろうか。
道路交通法が出来た当初、車を運転する人は特権階級の人たちだった。一般的な国民は自家用車を持っていなかった。だから、特権階級に配慮した法律が出来たと考えると被害者の命が軽く扱われる理由が理解できるだろう。
法律は成立した時代の空気を反映している。国民の誰もが車を持ち、誰もがハンドルを握るこの時代に、運転者を特権者扱いする法律が果たして正しいのか再考すべきではないだろうか。
それでなくても車は車に乗らない人たちにとっては迷惑千万な代物だ。生活道路でもお構いなく疾走するし、臭い排気ガスを撒き散らす。おまけにバカな運転者はラッパのようなマフラーをつけて爆音まで撒き散らす。
人身事故による最高刑が泥棒よりも軽いとは驚きだ。危険運転事故でも20年とは、この国の運転者は何処まで守られなければならないかと怒りを覚える。