何処までが個人の自由なのだろうか、

  大阪市の児童関係の職員が腕のタトゥーを児童に見せびらかして脅した、というのは相当程度の低い職員だと思わざるを得ない。それでも「停職処分」にすべきかどうかは意見の分かれるところだろう。


 


 かつてタクシー運転手が髭を生やして停職処分になったのを不服として地位保全の訴えを起こしたことがあった。相当古い話だが、お客に不快な思いをさせるべきではない、としてタクシー運転手の「髭」が問題になったことがあった。その一方で、イスラム教徒には髭を蓄えてこそ一人前の男と認識される社会もある。


 


 タトゥーもアフリカのある種族では顔中に多く入れるのが美人の象徴だとされている。日本ではそうした習慣がないだけで、むしろ江戸時代には咎人に刑罰の一環として墨入れがなされていた。ある藩では額に「犬」と彫り、江戸町奉行では左の二の腕に二一の輪を彫った。


 


 明治以降は儒教の教えで「身体を傷つけてはいけない」という教育がなされ、イヤリングですら耳に穴をあけるピアスは特別視されていた。しかし今では鼻輪を一つ着けている牛もびっくりするほど無数のピアスを鼻にしている若者を日常的に見かけるようになっている。


 


 身体を飾り立てたい、と願うのは動物の本能かもしれない。あながち否定すべきではないのだろうが、それでもタトゥーには一種異様な観念が付きまとう。


 かつてマトモな社会から外れた「埒外者」が背に彫り物を背負ったことからそうした観念があるのかもしれない。


 


 ただかつて「埒外者」たちにはマトモな世間様に迷惑をかけてはいけない、という厳しい戒律があった。しかし現代社会ではファッションとして「埒外者」でないマトモな人たちまでが彫り物をするようになった。それが良いのかどうか、判断基準の分かれるところだ。


 


 翻って、自分はどうか。自分の子供たちはどうか、と身近なところから判断すると、マトモな世間ではまだ受け入れられていないと思わざるを得ない。自分自身タトゥーを入れていないし、子供たちが入れたいといえば「やめとけ」と制止するだろう。自分から世間を狭めなくても、人はそれほど広い世間で生きているわけではない。人生の選択肢を自ら減らす必要はないだろう。


 


 牛さながらに鼻輪をしたいと子供が言ったら、それも「やめとけ」と言うだろう。穴を開ける際の感染症などの危険性よりも、そうしたことでしか自分を飾り立てられないのか、と問わなければならない。もっと別の価値観を見つける努力を日々積み重ねる方が、もっと大事だと諭すだろう。


 


 鼻にいくつ銀ピカのリベットを打っているかを見せびらかすのは、それしか能のない人間だと宣伝しているのと同様だと思われる。舌に銀ピカの玉を付けているのも気色悪いだけだ。決して美しくない。バカな真似はやめることだ。


 


 大阪市職員のタトゥー問題は、見せびらかすのは論外だとして、マトモに働いているのならかつての「埒外者」と同等の扱いをする必要もないだろう。ただ本人は「埒外者」の真似をしたことを常に心の片隅に置いておかなければならない。


 公務員とはサービス業でもある。顧客に不快な思いをさせてはならないのはどんなサービス業でも同じことだ。



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