年金を最低保障年金とすべきか、それとも保険料比例年金として高額給与所得者に高額年金とするのか。

 年金のあり方に対して、民主党と自民党の対立軸が明確になって来たようだ。つまり民主党が最低年金の引き上げによる「社会ライフ・ライン」としての年金を考えているのに対して、自民党は年金保険料が「財産権」として高額負担した保険料に比例して高額年金を受給する権利を満たす年金体系とすべきとしている点にある。 


 つまり現役時代に公務員や高給取りだった正社員には年金も手厚く支払い、現役時代に非正規社員だったり派遣だったりパートだったりした者は年金を受給する年齢に達しても非正規社員として「暮らせない」国民年金で了とすべきだというのだ。


 


 断じてそうした制度は認められない。年金は現役世代の負担に依って貰う、という賦課給付方式なら現役時代の支払い保険料などは関係ないことになりはしないだろうか。それとも積立方式の思想が1985年に賦課方式変更後にも残っていて正当性を主張しているとでもいうのだろうか。


 


 社会保障は社会主義の産物だ。つまり格差なき平等社会が社会主義の基本なら、社会保障も画一的なのが正しいのではないだろうか。


 多く支払ったから多く貰うべきだ、という「財産権」を主張するのなら、国民年金を「基礎年金」としたのは永遠の差別を年金に持ち込んだことになりはしないだろうか。元来が社会保障は社会主義の産物だ。資本主義では貧乏人は勝手に飢えて死ねばよい、という考え方だ。


 


 自民党はまさしく資本主義の申し子だ。支払い保険料に見合った「権利」としての年金を支払うように求めている。しかし、それは民主党が2009マニフェストで謳っていた最低年金保証制度と相容れない。


 国民年金に40年満期入っていた人ですら月額6万6千円足らずの年金でしかない。当然生活保護費にも満たなく、暮らせない年金だ。しかし自民党はそれはそれで了としている。それよりも高額保険料支払者に高額年金を支払え、という。それが果たして正しいのだろうか。


 


 子育てもない、酷な言い方をすれば死ぬのを待つばかりの老人世帯に高額年金が必要なのだろうか。確かに貰える年金は少ないより多い方が良いに決まっているが、現役世代をそれぞれが国家と社会のために働いたのに変わりはなく、職業に貴賎がないのであれば年金も同一なのが最も望ましいと思う。定年退職後まで正規社員と非正規社員、さらには公務員との格差があって良いものだろうか。



このブログの人気の投稿

それでも「レジ袋追放」は必要か。

麻生財務相のバカさ加減。

無能・無策の安倍氏よ、退陣すべきではないか。

経団連の親中派は日本を滅ぼす売国奴だ。

福一原発をスーツで訪れた安倍氏の非常識。

全国知事会を欠席した知事は

安倍氏は新型コロナウィルスの何を「隠蔽」しているのか。

自殺した担当者の遺言(破棄したはずの改竄前の公文書)が出て来たゾ。

安倍ヨイショの亡国評論家たち。