年金改正議論に現役時代の格差を持ち込まなければならないものなのか。

 国が行う国民全体に対する社会保障は民間保険会社の年金保険とは異なるだろう。そもそも社会保障という概念が自由競争社会にはなかったものだ。年金が現役を退いた国民の最低限の暮らしを下支えするのを目的とするのなら、そうした観点から出発すべきではないだろうか。


 


 たとえば年金が現役時代の所得の50%を下回らないと決めたのなら、現役時代に平均勤労者所得を得ていた人は426万円×1/2で、216万円を下回らない金額が年金額となるが、現役時代に高給官僚で1000万円を超える高給取りだった者は500万円を下回らない共済年金を手にするというのはどうも納得できない。


 


 現役時代にいかに高額な年金保険料を支払っていようと、受け取る年金が勤労者平均給与を越えるのは納得できない。現役を退いた者が最低限必要とする年金のありようをまず考えるべきではないだろうか。多くの年金保険料を負担したのだから多く年金を受け取るべきだ、という理論は「社会保障」の概念から外れているのではないだろうか。


 


 それでは所得税を多く支払っている人には、所得税を支払っていない人よりも差別的な公的サービスがなければならない、という理屈にならないだろうか。たとえば高額納税者がJALに乗ると自動的にファーストクラスに案内されるとか、JRを利用するとグリーン車に車掌が案内するというように。


 それと同じことが年金では行われているのに、現役時代ではそうしたサービスが行われていない。しかし応能負担という概念で捉えれば当たり前のことなのだ。いうまでもなく多く所得のある人は多く税を支払うのが「応能負担」だ。


 


 年金保険料も応能負担の概念で運用してはならないのだろうか。そうすると国民年金加入者の扱いを大幅に変えなければならなくなる。現行は現役時代の保険料が後に手にする年金額決定レースのような様相を呈しているから、同一掛け金を支払っている国民年金では同一年金しか支払えない理屈だ。だから、多く年金を貰いたい人は多く支払う制度を国民年金にも設けるという。あきらかに現役時代の年金保険料は年金受給時の年金額を決定するための権利構築ということになる。つまり国が現役時代の稼ぎにより年金を差別する、応能負担とは異なる概念を年金に関しては持ち込んでいることに他ならない。


 


 だから現在の年金のありようを議論しているのは高額所得者による議論でしかないと言われても仕方ないだろう。元々社会保障は自由競争社会になじまない概念だった。社会保障という概念は資本主義社会にあったものではなく、社会主義社会にあった概念の拝借だ。だから医療保険で高額な保険を支払っている人も最低医療保険しか支払っていない人も同じ医療サービスを適用されている。高額医療保険を支払っている人が入院すると自動的に豪華な個室に入れるわけではないのだ。


 


 子育てを終えた年金世代が高額な年金を手にする必然性はない。そんなカネがあれば子供手当を復活させ、満額支給を実施すべきだ。少子化こそが大問題だと、この国の政治家は余りに有権者ばかりおもね過ぎている。しかし、国の未来を担うのは子供たちだ。子供がいなくなれば国は必然的に衰退する。それで良いのか、高額年金を夢見ている官僚たちは少し頭を冷やしてはどうだろうか。基礎年金の嵩上げと一律支給を否定する大手マスコミは言わずもがなで、社会保障のありようを派遣社員やパート・バイト職に固定化されている人たちに議論させてみることも必要ではないだろうか。



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