診療報酬の改定に「第三者」の目を。
この国の医療制度の多くは厚労官僚と医師会との綱引きにより決められている。そのため利用者の「第三の視点」が欠落している場合が多々見受けられる。
「在宅医療」へ重点を置くというのはいかがなものだろうか。都市部でも核家族化が進み、老夫婦だけというのも珍しくない。地方ではさらに深刻な状況が展開され、限界集落があっちこっちに見られる状況に、地域医療の崩壊が叫ばれて久しく、さらに在宅介護なぞとは絵空事に過ぎない。
日本医師会の構成員の多くは開業医だ。地域医療に貢献しているのは認めるが、患者の最期を看取る医師であり続けているのは総数の何割だろうか。症状が進んで手に負えなくなるか重篤化すれば、開業医は「紹介状」を書いて拠点病院へ患者を送る。それはそれで悪いことではない。出来ない措置まで出来るかのように装う方が不誠実だ。
つまり、終末医療が必要な患者の多くは開業医の手を離れている。開業医の問題でないにもかかわらず、開業医の代表が終末医療に関して口を挟むのはいかがなものだろうか。
全国の総合病院が壊滅的になりつつある。確かに頑張っているところもあるが、診療科目を減らさざるを得ない病院も多くみられる。つまり勤務医を続けるより、開業医の方が金銭的にも肉体的にも負担が少ないため、医学生の多くは開業医を目指す。
そこで開業医の「中抜き」として「在宅医療制度」が叫ばれだしたのかと疑いを持つ。要するに簡単な措置で済む症状の初期と、総合病院が匙を投げた終末医療を開業医の手元に戻して地域医療にカネを回そうというタクラミなのかという疑いだ。
完全看護の総合病院で看取ってもらう方が患者にとって心身的に負担が少ないのはいうまでもない。老人病院で死を待つだけの入院患者では尚更だ。日々、死へ向かって症状が悪化していく肉親を看続けるのは辛いものだ。
グループホームや特養施設などの介護士が激務と薄給から次々と職場を去る状態にあることを官僚たちが知らないわけがないだろう。そうした「介護士」の置かれた状況を放置したまま「在宅医療」を「在宅介護」をどのようにして支えようというのだろうか。一度で良い、厚労官僚諸氏は特養施設に赴き、泊まり込みで一週間だけでも実地現場を経験して頂きたい。そうすれば過酷な労働状況が理解できるだろうし、そうした献身的な労働の対価として現行の報酬制度が適切なものか、そして自分たちの報酬がいかにボッタクリなのかが理解できるだろう。
在宅医療で危険なのは老老介護の問題だけではない。各種医療機器の取り扱いと感染症予防に関してどれほどの措置が出来るかということがある。特別な技能と機器の取り扱いに慣れた専門家が対処する方が患者にとっていかに安全であり、家族にとって安心なのかを知らなければならない。開業医の声ばかりを聞くのではなく、厚労省は全国民の声に耳を傾けるべきだろう。