「橋下氏は突破力で、小沢氏は無口で陰気」とは何たる思い込みだろうか。

 かつて屋山太郎氏は小沢氏と何かあったのだろうか。これほど酷い思い込みは解せない。小沢氏が無口で陰気なだけの政治家だと断じるのは、大手マスコミが国民に刷り込んだ虚像をなぞるもの以外の何物でもない。


 


 小沢氏が無口で陰気というのは「小沢氏=巨悪」という大手マスコミが小沢氏の人物破壊に用いたイメージそのものだ。実際に小沢氏と身近に接し話したことはないが、記者クラブを排しオープンな記者会見を政治家として誰よりも早く実施し、中選挙区から小選挙区へ選挙制度を改革したのも小沢氏だ。そうしたことから想起されるのは既得権に安住しない「改革者」という人物像だ。


 


 小沢氏は47歳にして自民党の幹事長となり前途洋々たる自民党のホープだった。田中角栄氏が検察と大手マスコミの謀略により失脚した後も、田中角栄氏の裁判をすべて傍聴したという。


 同時に自民党を離党し細川連立内閣の立役者となった。それほどの改革が「陰気で無口」なだけの男に出来るだろうか。


 


 橋下氏を持ち上げるのは危険だ。確かに政治家こそが行政権に於いて国民・有権者の負託を受けた主人である。官僚や公務員は政治家の指示通りに動くべきだ。予算編成に於いては歳入の範囲で為すべきであって、当初から「赤字国債」を織り込んだ水膨れ予算を編成すべきではない。


 


 それなら各種事業が出来なくなるではないか、という異論が湧きあがるだろうが、それで良い。事業が出来なければその担当部署は必要なくなるし、その下流に連なる地方自治体の膨大な公務員も不要になる。図らずも人員整理が出来るだろう。


 それが嫌なら自ら人件費削減の予算案を提示すれば良い。なにしろ現行でも人件費は一般会計予算の3割に達する。それ以外の天下りに備えた「水膨れ補助金」や「水膨れ外注委託費」や厚労省で明らかになったような年金基金運用団体の丸投げ・ここ10年で6兆円損失のような実態にあるような「赤字でも何とも思わない丸投げ事業」などをあげただけでも膨大な無駄だ。


 


 無駄を省くには蛇口を閉めるしかない。その限りに於いて橋下氏の手法は正しい。だが大統領制に近い強力な権力集中の地方自治体の首長と議員内閣制を執る首相とでは権力の集中力が天と地ほどに異なる。国会では議員の多数を制しないと首相になれないのが最大のネックだろう。つまり相手にすべきは国民ではなく、有象無象の国会議員なのだ。


 


 いうまでもなく国会議員は国民の代表だが、そうした意識を持つ国会議員は極めて稀だ。なぜなら小沢氏に対して行われている「人権侵害」と「不当な国策捜査」と「大手マスコミによる名誉棄損」に対して、国民の代表たる国会議員への冒涜だ、として何人の国会議員が検察・司法官僚や大手マスコミなどのしかるべき代表を国会招致して「説明」させようとしただろうか。その意味において、国会議員も単なる大衆週刊誌の読み手に過ぎなかったということだ。決して国民の代表者たる見識を備えた人物ではありえない。


 


 屋山太郎氏よ、国会議員がまともな政治家として小沢氏を首相に任命して政権を預けた後、小沢氏の行う政策と突破力を見てから批判しようではないか。ここはまず小沢氏を取り巻く恥ずかしいほどバカげた検察権力側の暴走を諌めるのが評論家や言論人の使命ではないだろうか。屋山太郎氏は一貫して小沢氏が嫌いなようだが、政治家小沢氏に対する好悪の念はどうでも良い、政治家たるものを吊るし上げて恥じない連中に、この国の政治家たる「人物像」を語る資格があるのかを問わなければならない。


 


 屋山太郎氏の「政治は政治家が行う」の言やよし、それなら小沢氏に「政治を行わせる状況」を1日も早く作るのが評論家諸氏の仕事ではないだろうか。財務官僚の下僕になり下がった野田氏の後押しをすることが評論家の仕事ではないはずだ。



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