「環境影響評価書」に対する沖縄の意見書が政治的だったことへの批判は、

 環境影響評価書に対する沖縄の意見書が政治的だったことへの批判は、環境影響評価書そのものに対する沖縄の意見と同時に辺野古沖移設に対する「環境影響評価」という政治的側面が含まれるのは当然のことだ。


 辺野古沖の海を埋め立てて米軍基地を建設して移駐する、全体計画の影響を沖縄が意見書に反映させたとして何の不思議があるだろうか。


 


 例えば、普天間基地そのものに関して純粋に「環境影響評価」をするなら飛行機などの爆音さえなければどのような環境への影響があるというのだろうか。つまり基地そのものに対する「環境影響」を評価しなければ防衛省が提出する意味も持たないだろう。純粋に「環境影響」を評価するのなら環境省が公有水面埋め立ての及ぼす環境破壊などに関する影響評価を行えば良いだけであって、防衛省による基地建設と切り離して行うことになるのではないだろうか。


 


 そもそも環境省の設置は何だったのだろうか、その設立当時の意義を思い返す必要があるのではないだろうか。人間による自然に対する「環境破壊」が何の意識もなく行われていた企業活動や政治的な活動に対して「環境保全」こそが最も人間の生存にとって必要不可欠なものと位置付けたのが環境省の原点ではなかっただろうか。


 たとえばダム建設は水資源の確保と安定供給から人間の生活を便利にし産業振興に資するとしてこの狭い国土に無数のダムが建設された。それにより海岸が海食され砂浜が細り、海岸の海底が荒れた。川は山の滋養を海へ運び、砂を運ぶことにより海食を防ぐ機能を果たしていた。人間本位のダム建設を見直すことが環境省の本旨であったはずだが、八ッ場ダム建設ではそうした「環境影響」はほとんど考慮されなかった。


 


 沖縄の海岸線や近海のサンゴ礁を荒らしてはならない、という深刻な反省は沖縄海洋博覧会やその前後に展開された造成開発事業によって沖縄の海が荒れたことから生じた。その延長線で考えるなら辺野古沖にジュゴンがいるなどというのは象徴にすぎず、様々な生物が棲息している海域を人間が勝手な都合から破壊して良いのか、という深刻な反省に立つべきだ。それを沖縄の「政治的な意見」で環境影響を評したと批判するのはいかがなものだろうか。


 


 この国では『物欲しそうな顔をした』御用評論家や幇間のような学者が官僚の僕となって姑息な仕事をしている。辺野古沖埋め立てに関する環境影響評価書を誰が作成したのか知らないが、基地建設しても沖縄の海や自然に「大した影響はない」と評しているのなら、飛んでもない作為的な評価書だといわざるを得ない。


 長年に亘る自然活動により作られた沖縄の海を何であれ埋め立てて環境に大した影響がないとは断じて言えないのは素人にでも分かることだ。産経新聞の『主張』氏は普天間意見書に対して政治的な評価でいいのか、という批判は人間の活動の中でも極めて政治的な「基地問題」に対して政治的でない意見を地元が出したとしたら、地元民の意思と沖縄の地方自治はどうなるのだろうか。


 


 国策が優先するというのなら、まずは環境省を廃止してから、政府が勝手に何でも出来るように法改定をやってから、もう一度沖縄に乗り込むことだ。そうすれば日本国民は日本政府が誰の意見に基づいて動くのか、一体何処の政府なのか深刻な疑問に覚醒するだろう。



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