年金支給水準の議論はバイの分け方に過ぎない。

 社会保障の支出総額は年間約100兆円だ。それが毎年増加している、と厚労省は訴えている。高齢化社会や年金受給者が増加すれば支給総額が増加するのは当たり前だ。昨日今日分かったことではない。数十年も前から今日のあることは分かっていた。しかし場当たり行政に終始してきた官僚たちは得意技の「先送り」で抜本的な解決策を放擲してきた。


 


 すべてを消費税で賄うとすれば税率は17%ほど必要というのも嘘だ。社会保険料で徴収したカネに税を加算して支払っている構造からまず説明しなければ全体は把握できない。どうしてマスコミの税と社会保障の議論は財務省の「税部分だけ」の摘み食い説明や厚労省の頬被り説明をそのまま垂れ流すのだろうか。だから国民には何の事だか分からなくなる。分からないから「官僚たちが良いようにしてくれるのだろう」と任せっぱなしにしていたら、ものの見事に好いようにやられていた。


 


 共済年金はどうするのか。そして最高年金支給額に上限を設けないのか。最低年金支給額は必ず生活保護費を上回るようにするのか。そうした基本的な疑問にまず答えなければならない。


 馬鹿な評論家が「最低年金支給額が生活保護費を下回れば生活保護を申請すればよいではないか」と嘯いていた。それなら年金はすべてなくせば良いだろう。国家が文化的にして最低限の生活は保障すると憲法に書いてある。保険料を支払うまでもなく、国家が保障すべきだろう。


 


 そうではなく、分に応じて負担しようというのが「保険制度」導入の大義だろう。それなら生活保護費を下回る国民年金をまず引き上げなければ、売却不能な資産を所有している地方の農家や林業家は餓死するしかない。都会の資産と名のつくものを何も持たないホームレスの方がよほど恵まれているという実態を政治家はどのように考えるのだろうか。


 


 生活に必要な食品や医療費の消費税をどうするのだろうか。そして日本の国家戦略として重要な高度教育機関の教育費をどうするのか、基本的な議論を政治家はまず為すべきだろう。かつて年間1万2千円だった国立大学授業料が年間六十万円を超えている現状は果たして正しいのだろうか。授業料免除が受けられない程度の貧困家庭の子弟は大学進学を諦めるしかないのだろうか。


 


 応能負担というのなら、その逆として給与に応じた働きを官僚や公務員に求めなければならない。この国を財政破綻に導いた財務官僚は総入れ替えしなければならないだろうし、保険会計を滅茶苦茶にした厚労官僚もすべて更迭しなければならないだろう。民間企業なら当然そうしたことになる。大きな顔をして国民に負担を求める前に官僚たちは自分たちの襟をまず正すべきだと思うが、どうだろうか。



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