言葉の軽さは野田氏も同じだ。

  野田首相は強い言葉を多用して「覚悟のほど」を自らの口で広報してきた。その広報の効き目があって物事がすんなり進むのかといったらそうでもない。強い言葉はリーダーシップと独断と紙一重だ。野田氏は「党内論議」を重ねて一致をみる、としているが、「社会保障と税の一体改革」で党内論議をこれまで重ねて来ただろうか。民主党政権の専売特許となった「首相の独断」で物事を進めているのではないだろうか。


 


 記者のインタビューに答えて「解散ありきではない」と幾ら発言しても、これまで「解散風」で脅しに脅した事実を忘却したかのような発言は何だろうか。その日の腹の虫の居所で発言が変わるとでもいうのだろうか。


 この時期に増税や社会保険料の負担増を議論するのは景気音痴だというのが経済界の常識だろう。ことに中小零細企業にとって、消費税は容易に価格転嫁できず経費として抱え込むしかない。橋本首相が景気回復期に3%から5%に消費増税して、回復しつつあった景気を急ブレーキをかけて冷え込ませた過去を忘れているのだろうか。年間自殺者が3万人を超えたのはその翌年からだという事実を野田氏は何とも思っていないのだろうか。


 


 馬鹿な評論家が欧州の消費税が軒並み20%を超えているが日本は5%でまだまだ上げる余地はある、と評している。しかしその欧州各国が20%を超える消費税で国庫が潤い財政破綻と無縁だとでも言いたいのだろうか。


 現実は欧州各国は財政破綻の瀬戸際に追い込まれている。消費税が低率だから財政破綻に見舞われ、20%を超えれば財政が回復する、というのはすべてを現状の経済状態に固定した静態的な机上で数字をいじくっただけの空論に過ぎない。むしろギリシアの公務員優遇と赤字国債との関係にこそ財政破綻の鍵がある。


 


 事業費が膨張して赤字が積み上がっているのなら歳入を増やし歳出を削減すれば財政は再建できる。しかし人件費で経常的赤字になっていれば事業を縮小しても赤字体質は変わらない。それがギリシアの現状だ。と同時に日本もそれに近い状態にある。事業費と称する中に潜り込ませている人件費部分も抜き出してみると良い。既に税収以上の人件費を国は支払っているのではないだろうか。するといかに税収を上げようと、底の抜けたバケツに水を注ぐのに等しいといわざるを得ず、赤字体質から脱却するのは困難だ。


 


 野田氏は財務官僚の洗脳から本来の政治家脳に立ち返ることだ。政治は国民を幸福にするためにあるのであって、官僚や政治家だけを幸福にするためにあるのではない。将来の国民の幸福のために、現在の国民は不幸のどん底に喘げ、というのは自虐嗜好の国民が喜ぶだけだ。


 税収を上げるには景気を良くすれば良い。自然と税収は上がって来る。国は景気対策として何をやっているだろうか。ブリックス諸国を政府要人が回って日本製品の売り込みをしているだろうか。資源外交を積極的に世界に向けて展開しているだろうか。


 


 国際金融に対して『丁半博奕を打っているような』投機家に対して規制すべきと提言しているだろうか。為替相場に投機資金を投入するのを規制して本来の貿易決済市場原理に戻すべき、と提言しているだろうか。ドルやユーロの垂れ流しに対して、日本は国際金融危機を招来している元凶だ、と米国とユーロ諸国に警告を発しているだろうか。ギリシア国債の買い支えは問題を大きくして先送りしている膨らむ風船を次々と送るゲームに似ている。それならいっそのこと破綻の事態に備えをして、ギリシアを国家破綻させる方が早い問題解決策だろう。


 


 翻って日本の現実はどうかというと、野田首相の視線は国内向きのまま財務省の三下に成り下がって「不退転の覚悟ダァー」と息巻いているだけのピエロを演じている。だが国民はその滑稽さにも笑えず「馬鹿な政権交代をしたものだ」と臍を噛んでいる。その実態が野田氏には見えないようだ、いや現実社会だけではなく、目の前すら見えず右目を打ちつけて眼帯をしている。



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