今頃「復興庁」設置とは。

  災害地の復興に「復興庁」を設置しなければこの国の官僚たちは動けないのだろうか。政府閣僚は毎朝のように官邸で顔合わせしているが、あれは写真を撮るためのセレモニーに過ぎないのだろうか。


 


 「復興庁」をこの時期になってやっと設置したのにどんな意味があるのだろうか。これまで支出した2次と3次補正予算に盛られた「復興費」は使いきりの「復興庁」とは関係のない歳出だったのだろうか。たとえば仮設住宅が建っている場所も、おざなりの空き地を確保して建てたのであって、復興後の町並とは何ら関係のないものだったのだろうか。


 


 何ら関連性のない土地を仮設住宅の建設地に選んだのなら「計画性がない」と非難されても仕方ないだろう。民間企業でそうしたことをやるだろうか。政府や官僚の仕事でなければ、仮設住宅地は将来の町ごと移転すべき候補地となるべき丘陵地を重機で造成して建てるだろう。その方が土地の造成が無駄にならないどころか、丘陵地へ町を移転した場合の課題が速やかに現実のものとして認識されるからだ。


 


 あれはあれ、これはこれ、として単独に予算を使うとは何処までこの国はバカなのだろうか。関連性を考えるのに一日もかからないだろう。それを中央官僚や県庁職員たちが考えるから何日も「調整」に時間がかかるのだ。なぜ地元市町村に予算を丸投げして町造りをさせないのだろうか。その結果として万全のモノが出来なければそれは地元住民に結果責任が掛かるわけだから、それも一つの選択といえるだろう。


 


 なぜなら選択肢は無数にあってそれらのどれも完璧といえるモノはないからだ。何かを犠牲にして「安全」を選択するのか、それとね「ある程度の安全」を確保しつつ従前の町に暮らすのか、選択は様々であろうし、それらのどれも頭から否定すべきものではない。大切なのは地元住民の意思であり、地域再生を願う心が込められているかによる。


 


 中央に200人規模の復興庁を作って大臣を置き、体裁を整えれば各省庁の調整ができる、という発想は中央官僚のモノでしかない。中央で地方の復興構想をすべてハンドリングしようとする発想だ。災害復興に掛かる莫大な予算も中央官僚の「利権」の一つに囲い込み、天下り団体の涵養に取り込もうとする発想だ。なぜすべてを地方自治体に丸投げして「特例・特区」といった超法規を地方自治体に担保すべき法律を速やかに成立させなかったのだろうか。国や県は地方自治体を様々な法律で縛り上げて、それが官僚国家だと勘違いしている。それは強い上流意識に裏打ちされた「権益国家」に過ぎない。水が低きに流れるように、意思伝達と権力は上流から下流へと流れる、とする時代錯誤な特権意識そのものだ。


 


 橋下大阪都構想もそうした上流意識の打破を目指していると解釈できるだろう。災害を未来の地域住民の幸福に転化しなければ亡くなった人たちは浮かばれない。災害を千載一遇のチャンスと目論む官僚たちや業者や政治家たちはまとめて地獄へ堕ちるだろう。そう観念することだと思わざるを得ない。



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