八ッ場ダムは本当に必要なのか。
八ッ場ダム工事再開を野田民主党政府は決めたようだ。ついに国交省官僚のゴリ押しが2009マニフェストを押し切った。官僚たちの抵抗は凄まじいものがある。ダム一つにつき何人の官僚が天下り何人の公務員を食わしてきたか。それを今後も続けようというのだ。
ダム継続の錦の御旗は「地域住民の願い」だという。それ補償金」というカネによって捏ね上げられ作り上げられてきたものではないだろうか。官僚たちの真摯な説明により納得したものではないはずだ。
地域自治体もこれまで本体工事でもない付帯工事で莫大な公共事業が降ってきた。今後は本体工事が始まり当分は公共事業景気に沸くだろう。
八ッ場ダム建設推進派の人たちは大手マスコミも含めて言い分は決まっている。治水と飲用水の確保が出来る、という決まり文句だ。それなら八ッ場ダムの建設地より下流域で何度も洪水が繰り返しあったのだろうか。少しでも大雨が降るとたちまち下流域で川が氾濫してきたのだろうか。飲用水の確保というのなら、八ッ場ダム完成の暁には導管により都市圏に水を運び必ず飲用の用に供すというのか。
八ッ場ダムに注ぎ込む支流のひとつ吾妻川は酸性が強く一日10トンもの石灰を注ぎ込んでいるという。それでもなかなか中和しきれず河原には変質した石がごろごろしているという。そうした中和剤で中和し続ける水を大勢の都民や首都圏の人たちに飲用させるのだろうか。
その対価はどうなのかという見当もなされたのだろうか。飲用水の水利権は八ッ場ダムの水の何割なのだろう。工業用水は既に必要とされる事業形態を転換しているから工業用水が新たに必要とは思われない。農業用水として使う多目的ダムだとの説明を聞いたことがないから、100%飲用水利権だとすると、4600億円のダム工事費を何年で償却する計算で原価算入するにしても、かなり高額な「中和された水」を首都圏の人たちは飲用することになるが、そうした説明はあったのだろうか。いや、その前に、首都圏は少しでも日照りが続けばたちまち節水の日々を強いられているのだろうか。首都圏の人たちは切実に八ッ場ダムの飲用水を必要としているのだろうか。
そうした検証に関してどのニュースからも満足な説明はない。ただバカ高い橋脚で通した立派な道路と移転先の完成した宅地などを放映して「ここまで出来たのだからあと少しではないか」とダム工事中止こそがムダだと刷り込みをしている。しかし本体工事に入っていない現在までで既に40年以上の日々が過ぎ去り、2004年に総予算2110億円とされていたが、今では4600億円なりその7割もの巨費が投じられていることを考えなければならない。それは当初昭和27年に予定したダム工事全体経費の何倍になっているのか、大手マスコミは正直に報じなければならないだろう。
官僚の下請け広報機関に堕した大手マスコミにそうした報道を望んでも無駄なことだろうが、ダム全体を見通した「情報」を抱え込んでいるのは国交省官僚だ。それに対して地質学の学者たちは八ッ場ダム周辺の山々の地質に関して知り得ていることを公開する義務がある。彼らの研究費の全部にしろ一部にしろ、国民の税により賄われている。文科官僚たちの仕返しを怖れず、学者は八ッ場ダム周辺の山々がダムに貯水した場合に耐えられず崩壊しないか、説明しておく必要がある。素人でも関東ローム層が脆いことは承知している。そうすると「思わぬ地盤補強工事によりマタマタ出費」との記事が完成間近にデカデカと出て、マタマタ国交御用学者が現れてご説明するのだろうか。
ダムが下流域にどのような弊害をもたらすのか、既に学習済みではないだろうか。米国では次々とダムを撤去して元の川に戻す工事を行っている。人が自然環境を破壊して、良いことは何もない。2009マニフェストを作成した人たちがなぜ沈黙しているのか、真正・民主党の議員各位の奮励を望む。