官僚と戦わない政治家は要らない。
国民に負担増を求めるだけなら政治家は小学生でも勤まるだろう。官僚丸投げの官僚のメモを読み上げるだけの政治家なら、ルビさえ振ってあれば小学生でも読める。その程度の小学生のような政治を野田政権はやっているとしか見えない。
補正で総額12兆円もの復興予算を通しても、被災地へ渡っているのは4割程度だという。後は中央官僚が法案を梃にして四の五の文句をつけて執行しない。そのうち復興庁が出来上がるから、すべての権限をそちらへ移そうとしているようだ。つまりすべてを中央官僚が仕切って、復興予算を中央官僚の肥やしにしてしまう腹積もりのようだ。この国のシロアリは悲惨な災害までも食い物にするつもりだ。
国民は官僚と戦う政権として2009マニフェストを信じて政権交代させた。国民の信は2009マニフェストにあり、官僚内閣制に堕した現・野田政権に与えたつもりは毛頭ない。何もかもすべてを官僚に譲歩し、2009マニフェストを蔑にする官僚と官僚の広報機関たる大手マスコミとそのお抱え御用評論家たちの言論に惑わされることなく、断固として2009マニフェストを推進すべきだった。
過去最大となる予算案は従前の自民党政権下の制度事業をすべて満たした上で民主党マニフェストを積み上げただけの官僚やりたい放題の予算だという結果だ。なぜ大鉈を振るって予算に切り込まないのか、八ッ場ダムにしろ今年度すべての関連予算を通さなくても造った橋が崩れるわけではない。凍結して御用学者でない、第三者による事業評価と丁寧な検証をすることこそが必要なのではないだろうか。
すべての特殊法人や独法や公益法人に関しても、必要とされるものは国が責任を持って国営で行うべきで、必要でない独法は大胆に民間へ移管すれば良い。中途半端な「独法」で存続させて良いことは何もない。たとえばかつての国立病院は必要とあれば国立病院に戻せばよい。国でしかできない基礎医学研究という分野はある。しかし普通の病院であれば完全民間へ移管すれば良いだろう。大学にしても国立大学を独法という中途半端な機関にして何が良いのだろうか。独法にして何が改善されたのか、しっかりとした事業評価を国民に前に提示しなければならない。
学術・研究分野は国の成長戦略としても必要不可欠な分野だ。それをあやふやな独法にして良いことは何もない。ましてや独立法人だとして民間企業並みの経営を大学に求めるなら、この国の基礎研究は成り立たなくなる。もしくは企業の御用機関に成り下がり、見落としてはならない大切なモノまでも収益事業ありきの前提のもとに喪失してしまいかねないだろう。教育や国防や治安といったモノは企業原理や市場原理で画一的に判断してはならないものだ。
しかし官僚たちの待遇や天下りついてはシノゴノ理屈を官僚たちに言わせてはならない。画一的にすべてを律して嫌なら辞めてもらえば良い。公務員になりたい青年はいくらでもいる。高給を弾まなければ良い人材は集まらない、というのは嘘だ。それが証拠にこの高給を食んでいる現在の官僚諸氏がこの国のトップというべき優秀な人材だろうか。司法関係でも小沢氏の捜査や三人の秘書たちの捜査や裁判に関わった検察や裁判官などが優秀だっただろうか。そして他の業界と比して高給に恵まれているテレビ局の人たちの伝える小沢氏や陸山会事件報道がマトモだっただろうか。一回や二回の報道のミスをいっているのではない、二年近くに渡って捏造した疑惑をタレ流した連中が高給に似つかわしい優秀な連中だといえるだろうか。
高給は優秀な人材を雇用する動機になりうるかもしれないが、高級に釣られてその職を選ぶ者に碌な連中はいないという格好の例ではないだろうか。公務員や公的職に就いている者はその報酬が何処から出ているかをじっくりと考え、職の役割とそれに期待されている国民の願いを感知することだ。理念は政治に最も必要とされるものだが、職についても理念なき者はタダ飯食いよりももっとタチが悪いと思わなければならないだろう。