博奕の誘惑に負ける人がいる限り、カジノの合法化に反対だ。
この国に博奕がないかのごとき言辞には驚く。パチンコは至極手軽な庶民の博奕で、その少額な博奕ですら家庭崩壊の悲劇に見舞われている人たちを知っている。その上級というべきは競艇・競馬・競輪・オートレースであって、それらにのめり込んで家庭崩壊に至った例は枚挙にいとまがない。
博奕そのものに罪はなく、博奕をする人に問題のある人がいる、という論理にも異議を唱えざるを得ない。博奕には射幸心があり、瞬時の勝負に人生を託す危険性がある。しかも、胴元が必ず「手数料」の徴収により儲かる仕掛けになっていて、その最たるものが還元率48%の、胴元ボッタクリの自治宝くじだ。これほど酷い博奕は他に例がない。高額賞金で庶民を惹きつけて、その大部分が外れ籤を掴まされる。宝くじに当たる確率は交通事故に遭遇する確率より遥かに低い。購入した者の99.9999%以上が当たらないという、この世に宝籤などという酷い博奕もあったものだ。
ギャンブルに嵌って一家離散の悲劇に見舞われたという話は良く耳にするが、博奕で稼ぎに稼いで遂には家を建てたとは寡聞にして知らない。不幸の源でしかない博奕を「公営」で行うとは言語道断だ。戦後復興、との目的で許可した公営ギャンブルは、この際すべて禁止すべきではないだろうか。
庶民を幸せにしない、勤労意欲を削ぎ時間の無駄遣い以外の何物でもないギャンブルはこの国に必要ではない。やりたい人は海外へ出掛けてやるが良い。この国のあらゆる施設はマトモナ勤労と納税により整備すべきだ。ギャンブルの申し訳程度の寄付に縋るのは止めよう。