なぜ俯瞰した議論がないのか。
この国の司司の立場にある人の口から長期的展望に立ってこの国をどうしようとしているのかが語られなくなった。それは政治家だけのことではなく、官僚だけの事でもない。大マスコミも場当たり的な大本営発表を広報しているだけだし、軍事評論家の多くも米国のポチに徹しろと吹聴するだけだ。そして専門家と称するこの国の各界の権威者や学者たちは沈黙を保ったままだし、世間に顔を出したと思ったら官僚たちの幇間としてだけだ。学識ある立場でそれぞれの分野に未来を見通した箴言を発することは絶えて久しい。
それはバンカーといわれる『銀行家』にしてもそうだ。かつては経済と産業の牽引役として地方経済界や国家的事業に於いて中心的な役割を果たした。しかし現行の銀行家たちの多くはサラ金の金主に成り下がり、サラ金の高金利のピンハネに専念して思考停止している。ちょっとましかと思った連中も顧客にFXを勧めたり、怪しげな投資信託を勧めたりと、米国流『金融工学』の悪しき洗礼を受けて毒されている。この国のバンカーたちは歴史の彼方に死に絶えたと思わざるを得ない。
この国が民主的な独立国家だというのなら、この国の主権は国民にあり、その権利は国会議員に付託されている。よってこの国の中の政治的な最終判断は首相がすべきで、外国からとやかく言われる筋合いはない。
それが普天間基地というこの国の中にある基地が安全上問題があるから移設したい、とそこに駐留している米軍に申し込んだら「代替基地を寄越せ」と居直られてしまった。「最低でも県外」と首相が発言しても官僚たちは国内に向かっては「日米合意」を尊重すべきだとし言い、米国に向かっては「移設先を決して辺野古沖から変更しないように」と使嗾する始末だ。何処の国の官僚かと節度なきこの国の白蟻たちの存在に驚くと同時に、国民から負託された政治家の権能をどのように理解しているのか、と彼らの常識を疑う。
この国は基本的なところで壊れているのではないかと危惧する。国の仕組みは官僚たちに都合よく改竄されているし、与野党政治家たちも選挙では威勢の良いことをのたまっていても、いざ政権運営の段になると借りてきた猫のように大人しくなる。そして突如として国民に向かって「増税だ、負担増だ」と叫びだす。この国の景気と経済情勢にお構いなく発狂したのかと思われるような勢いで財務官僚の書いた筋書きの芝居を演じ切ろうと汗だくになる。それが国民の付託を受けた政治家の頂点に立つ者の所業だ。何とも国民は惨めになるし、政権交代しても何も変わらない政治風景には心底がっかりする。
遠き高き灯という理念を国民に示し、そこへ到る筋道を俯瞰した立場から示すのが政治家だ。カーナビにすらバードビューという機能がある。これから進む方角を鳥の目をして知らしむる機能だ。
政治家個々人の頭の中にこの国の俯瞰図をしっかりと描いている人が何人いるだろうか。この国の経済と産業の俯瞰図を頭の中に描いているバンカーが何人いるだろうか。そして言論人たちで、頭の中にこの国の長期的な展望と俯瞰図がちゃんとある人が何人いるだろうか。
チマチマとした気の利いた文言はどうでも良い。首相が泥鰌だろうが金魚だろうが、そんなことは国民生活と何のかかわりもない。そんな枝葉末節の解説記事を書く暇があったら、大マスコミはもっと大枠な捉え方をしたらどうだろうか。
ユーロの枠組みから米国は手を引こうとしている。露国も独裁政権を恣にしてきたプーチンの雲行きが怪しくなっている。中国も引き締めていた金融を緩和しなければならないほど経済減速が顕在化してきた。そうした激動の世界情勢に関わりなく、与野党は誰がバカな発言をしただとか、もう話し合いも必要ないから解散だ、とか、実に内向きな、自分たちの周囲半径1メートルほどの話に終始している。
テレビが芸をしなくなった芸人たちの身内話をタレ流して悦に入っているのに影響されたわけでもないだろうが、政治家も身内話を激昂した身振り手振りで話すとは、国民の関心はそこにない、と知らないのだろうか。国民は政治家の口からこの国の明確な「あなたの俯瞰図」を語ってもらいたいと思っている。誰がどんなバカな発言をしただとか、それで沖縄県民が怒っているだとか、そんなことはどうでも良い。この国をどうしようとするのか、を政治家も経済人も大マスコミも学者も学識者と称する連中も語らなければならない。それも国民の腑に落ちるような大きな俯瞰図で。