国際的な自由貿易は推進すべきだが、TPPには問題がある。

  相手国内の制度にまで及ぶとされるTPPのISD条項はいかがなものだろうか。貿易の自由化を突き詰めれば相手国内の諸制度に及ぶのは理論として考えられるが、その不安を解消をしないうちは「自由な貿易」を勝手に推進しても良いとは思わない。


 


 それぞれの国にそれぞれの事情がある。それがその国にとって一部の人たちの利権であったり、一定企業の好ましくない利権であったりするかもしれないが、それを正すのはその国の政治であるべきだ。確かに日本の諸制度は「米国」という外圧によって変革を迫られてきた。しかしそれらがすべて良かったかというと必ずしもそうではなかった。最悪なのは終身雇用制度を放棄し、派遣業法を緩和して企業の短期的最大利益の実現を可能にしたことだ。


 


 確かに現在の日本にも変な制度はある。例えば減反政策だ。明らかに「自由市場原理」に反する制度で、農家を守ると称しつつ何割かの圃場は放棄地と化し原野へ戻って美田が失われた。補助金漬けで長らえる産業はいわば点滴で延命をしているようなもので、基本的に自立できなくなり、ついには衰退し放棄されてゆく。不合理極まる制度だが、それを最終的に選択したのは選挙制度を通じて国民であり、食の自給を担保する最低限の措置だったと判断しているのだろう。


 


 その政策が間違っているか否かは国民の判断たる投票行動で決定される。自由貿易推進は民主党2009マニフェストにも謳ってあった。その食の自由化に対する農家の暮らしを守る担保として戸別補償制度を実施するとしていた。それに対して戸別補償制度は集団・大規模化農業を阻害するものだと非難されている。自由市場に任せれば零細農家は市場原理により淘汰されるのは目に見えている。零細農家では単位面積当たり原価が異常に高いからだ。現行の価格ですら既に原価割れしているだろう。


 


 零細農家を潰して大規模化を促進したとして、平均農家の耕作面積で米国の120haやオーストラリアの250haと対抗できるだろうか。そしてそもそも大規模化に適さない中山間地の農地はすべて放棄されても環境や災害に影響が出ないといえるだろうか。一つの制度を改廃する際には広範な影響を検討しておかなければならない。そして日本の国土や地勢的な問題を米国やオーストラリアなどの平坦な国土と同じように論じるのも「自由化の産物」として当然なのかを、まず議論すべきだろう。


 


 諺に「急いては事をし損じる」という。それでバスに乗り遅れるというのなら、次のバスが来るまで待てば良い。環太平洋よりも、日本は地理的・経済的に東アジアとの自由貿易圏構築にこそ力を注ぐべきだ。そうした議論を大マスコミは余りやらないが、それならネットの中で大いにすれば良い。日米地位協定を見直して「米軍属の犯罪は日本側で裁判をする」と米国と合意したようだ。これこそ世界で外国人であれ当事国の裁判で裁かれるという当たり前のことが、米国軍属に限って日本国内で行われなかった不当な米国のごり押しだった。不平等は日本国内だけにあるのではなく、米国流のグローバリズムの中にも潜んでいる。慌てふためいてTPPに乗れ、と叫んでいる政治家や大マスコミには単なる「貿易の自由化」とは別の隠された意図があるのではないかと勘繰るのは私だけだろうか。


 


 それぞれの国にはそれぞれの歴史と国土がある。それを一切無視して同じ規定を適用することが「自由化」だと考えることが、そもそも自由といえるのか。一国全体主義とでも呼称すべき独善的な振る舞いではないだろうか。


 米国の中近東やイスラム世界に対する軍事行動は既に一国全体主義の現れではないだろうか。世界は米国の漫画ドラエモンに登場するキャラクターのジャイアン的振舞いにいつまで付き合えば良いのか、その限界点まで論じておかなければならない時期に到っている。日本の諺に「驕れる者久しからず」という。



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