1000年に一回の津波は1000年後に来るのか。
産経新聞の「主張」氏は内閣府の原子力安全委員会が示した原子力発電所の事故に備えて原発から半径30キロ圏を訓練すべきとした「緊急防護措置区域(UPZ)」などを新設する案に対して異論を唱えている。
従前は防護区域は原発を中心とした最大10キロ圏だったが、福一の放射能汚染に鑑みて30キロ圏としたもので、極めて妥当だと思うが、「主張」氏は1000年に一度の大津波による事故だからそれほど範囲を拡大するのはいたずらに原発に対する不安を助長するだけではないかというのだ。
確かに福一の放射能汚染地域を地図上で見る限り同心円的な汚染ではない。風向きや地形などの諸条件によって汚染地域は異なり帯状に広がるものだと認識させられた。しかしそうした意味からいえば汚染地域はむしろ30キロ圏内に納まるものでもない。遠く離れたところにでも高濃度汚染地区は存在している。住民が被爆する可能性は遥か数百キロ離れていても存在する。放射能汚染に関しては防護範囲を狭く限定するよりも国民が被爆の危険を認識して、日頃から被爆しないような訓練と心構えを持つ方がどんなに良いだろうか。
更に言及するなら確率を勘違いしてもらっては困る。1000年に一度ということは確率の問題で今起これば次は1000年経たなければ起こらないということではない。起こる確率が低いというだけで明日起こっても地震に対して「話が違うじゃないか」と抗議することは出来ない。いつあるか分からないが確率が低いというだけだ。それに備えるのは放射能汚染事故を起こすような施設を設置した者として当然の義務ではないだろうか。それも原発の発電コストだろう。
ただ津波のせいにして1000年に一度しか起こらないと国民に「原発の安全神話」を再び刷り込むような「主張」氏の書き方が正しい報道なのだろうかと疑問を抱く。本当に福一原発の原子炉溶解事故は津波によって電気供給装置の喪失によるものだったという検証がなされたのかということだ。
実は地震によって原子炉内部の細管が破断していなかったのか、実は津波が来る前に放射能汚染が始まっていなかったのか、国はキチンとあらゆるデータを検証したのだろうか。ただ1000年に一度の津波に放射能汚染の罪を被せて、現実にある原子炉の脆弱性を隠しているのではないか、と疑念を抱かざるを得ない。
放射能汚染の被害を小さく見せようとする報道や被爆は大したことではないという学者がいるのには呆れるばかりだ。枝野氏が繰り返し政府の立場で「直ちに健康に影響はありません」と発表したが、それが地域住民の被爆被害を拡大していたとしたら犯罪というしかない。なぜ直ちにSPEESIの汚染予測を報じて、該当地域住民に避難するように警告しなかったのだろうか。少なくとも妊婦や子供たちや若者たちは速やかに避難すべきだった。
「主張」氏は原子力発電コストの上昇と、原発立地がますます困難になることから防護範囲の30キロ圏拡大に反対しているとしたら本末転倒だ。国民は原発のために存在しているのではなく、原発を国民の暮らしに電気を供給する手段の1つとして選択したに過ぎない。それがこれほど危険なものなら直ちに止めるのが筋だ。国民は原子力研究や技術の踏み台ではない。いかに産業が栄えようが、いかに原子力技術が世界一になろうが、国民の多くが被爆しては元も子もない。本末転倒した議論が横行するこの国の大マスコミには社会の木鐸たる自覚すら喪失しているのではないかと思わざるを得ない。