いかなる人物であろうとも人権はある。

  国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は21日、リビアの元最高権力者カダフィ大佐が死亡した経緯について、詳しい調査を行う必要があるとの見解を示した。大佐が意図的に殺害された可能性もあるとしている。どんな人物であろうと人権は尊重されなければならない。


 


 カダフィ大佐が殺害された件で、日本の大マスコミのどこも人権尊重の見解を表明しないのは異常だ。生前彼がどれほど悪逆非道なことをやっていようと、怒りに任せて虐殺しては彼らもまたカダフィ大佐と大差ない連中だということになる。この地球上にいかなる虐殺もリンチもあってはならない。


 日本の大マスコミは常々人権擁護を謳い文句にしているが、彼らの基準は明らかにご都合主義だ。彼らのお気に入りや国民受けする場合にだけ人権が存在するかのようだ。その半面、彼らにとって疎ましい人物の人権は徹底して無視しても良いということのようだ。


 


 この国の大マスコミやそこに登場する評論家や学者たちがいかに品性下劣な連中か、こうしたことからも明らかだろう。自分にとって気に食わない相手なら人権無視の疑惑を捏造してでも罪に陥れようとしている現状を見れば、大マスコミの連中もまた犯罪者だ。推定無罪の原則を踏み躙って、小沢氏の政治的生命を断ち人格を貶める検察・司法当局の謀略に加担した証拠は山ほどある。ここ二年にわたる新聞や週刊誌や雑誌やビデオを法廷に持ち出せば、いったい何人の似非ジャーナリストが罪に問われるか、法律の素人にも分かる話だ。


 


 ここ一両日間、カダフィ大佐の人権に言及した日本の大マスコミは皆無だった。オバマ大領領はカダフィ大佐の死を慶賀の至りと大歓迎している。そのような国と日本は親密に付き合っている。せめて日本の大マスコミだけでも国連人権高等弁務官事務所が「人権侵害の疑いがある」と表明する以前に、アルジャジーラから配信された映像を見ただけでも「虐殺があったとしたら問題だ」程度のコメントを述べるべきだった。そうした冷静な態度を明文化された史料だけでも千数百年もの重厚な歴史ある大人の国家が、建国三百年足らずの独善的な振る舞いの目立つ若造に見せるべきではないだろうか。ただ軍事力と国力で勢いがあるから何をやっても許されると考えること自体が、若気の至りというものだろう。



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