意に沿わない者は殺害しても構わないのが米国流なのか。

  リビアの独裁者カダフィ大佐が死亡したと報道機関が報じている。しかし映像を見る限りでは下水管から引きずり出したカダフィ大佐を反カダフィ派の兵士たちが銃を発砲して殺害している。血だらけのカダフィ大佐が横たわる映像をアルジャジーラが配信したが、それを知らされた米国のクリントン国務長官は「ワァオ」と驚嘆の声を上げた。


 


 確かにカダフィ大佐は独裁者として国内で反対派を数限りなく虐殺した。米国にとっても反米姿勢を崩さない独裁者は目の上の瘤だっただろう。しかもリビアはアフリカ最大の産油国だ。米国とカダフィ大佐との間でオイル利権に深く関わる政治劇が展開されていたのは想像に難くない。


 


 しかし、どのような経緯があるにしろ虐殺は良くない。最前のオサマビンラディン氏への米特殊部隊の急襲と殺害が思い起こされる。ビンラディン氏も米国にとって歓迎すべき人物でなかったのは確かだが、9.11米国同時テロとビンラディン氏とを結びつける確証は何もなかった。彼こそは捕えてしかるべき国際的な機関の裁判にかけるべきだった。米国流の「正義」を押し付けられても日本人の倫理観からいえば首を傾げざるを得ない。


 


 カダフィ大佐にしても彼を裁くべきはリビアの正統な政権下の裁判ではなかっただろうか。たとえ結果は死刑となって処刑されようと、まずは公開された裁判を行うべきだった。そうした「民主的な手続き」を省略してさっさと片付けてしまったことに、米国はまず遺憾の意を表明すべきではないだろうか。それが世界の警察国家を自認する国の在り方ではないだろうか。


 


 戦いに勝ちさえすれば何をしても良い、というのではモラルも何もない。敗戦するまでのヒットラーと何ら変わらない。米国流の価値観に洗脳されているのか、日本の大マスコミにカダフィ大佐の死に関して客観的な論評はついに聞かれなかった。この国も米国流の「唯我独尊」的民主主義になりつつある、と実感する昨今だ。


 誰の事でもない、小沢氏とその元秘書三人に対するこの国の仕打ちのことだ。理があろうとなかろうと大勢で寄って集って国民世論を誘導した挙句に、見せかけの民主的手続きを踏み歴史に恥ずべき「推認有罪判決」を下し、更に小沢氏本人に対してもそれがおざなりの摩訶不思議な機関であろうとなかろうと「検審起訴」すれば司法当局の思惑でどうにでもなる、という恬として恥じないこの国の司法当局の在り方を見ているとゾッとするほど米国流の民主主義に酷似している、と恐怖を覚えずにはいられない。



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