大マスコミの理念なき「政争記事」が官僚を利する。

  これまで様々な首相のキャッチフレーズはあった。最も印象に残るのは戦後最長政権を維持した佐藤栄作氏の「寛容と忍耐」だ。沖縄返還という最大の戦後処理を実施し、高度経済成長のとば口を開いた。それが「寛容と忍耐」だが、大マスコミとは必ずしも良好な関係を築くことはできず、最後の記者会見では記者全員を会見場から追い出し、ただ一人でテレビカメラに向かって最後の弁を述べた。


 


 現行の野田政権に関する記事も「組閣人事」ばかりで、誰がどの大臣に就任するのかといった興味本位のものでしかない。確かに閣僚への登用に新首相の意思が現れることもあるが、現行のパッチワークのような報道にどれほどの価値があるというのだろうか。それよりも野田氏の理念を大マスコミは報じるべきだ。彼はどのような意図からどのような政策を実行しようとしているのか、それはこの国をどのようにしようとするのか、を語らなければならない。


 


 「低姿勢」をキャッチフレーズにした首相もいた。与党党内対策や野党対策でどのように接するのか、という面で「強行突破」なのか「低姿勢」なのかは政局の安定化には大きく影響するだろう。しかし政策の遂行面では突破力に欠けるかもしれない。


 菅氏により民主党政権がボロボロになってしまった。国民に約束した2009マニフェストを勝手に反故にした三党合意や増税議論などで国民の期待を大きく裏切った。


 


 それでも大マスコミは2009マニフェストを見直すべきだ、とする国民世論が多いと「世論調査」を突き付けたりしているが、政権党にとって2009マニフェストを反故にしてまで守らなければならない政権などは存在しない。


 2009マニフェストを書くに当たって主張低音のように貫かれている理念を民主党国会議員はもう一度嚙み締めるべきではないだろうか。ご都合主義で勝手に三党合意でマニフェストを見直し、その取引として国債特例法を成立させたのは本末転倒ではなかっただろうか。


 


 何事にも譲れるところと譲れないところがあるのは指摘するまでもない。政治でも譲歩すべきところと最後まで死守すべきところがあるのは当然だ。それをずるずると譲り続け、ついには政権獲得のマニフェストまで反故にした菅政権の定見のなさは民主党にとっても裏切り行為だった。


 野田氏はその三党合意を順守すると宣言した。民主党にとって望ましい政権といえるだろうか。民主党が政権党でさえあり続ければ、それで了とする理念なき民主党なら直ちに解散すべきだ。民主党に政権党としての正統性は失われている。政権交代した民主党とは似ても似つかない愚劣な俗物になり果てている。その浅ましい姿に気づかない、官僚の操り政権として政権の椅子に座り続けようとするのは余りに低次元ではないだろうか。


 


 大マスコミは首相が持ち出した詩人の短い詩を持て囃しているが、首相が「泥鰌だ」と自らを自虐的に評するのは余り感心できない。政治家は誰もが政界の金魚を目指していて、泥鰌で良いと思っている政治家は皆無のはずだ。


 まさか首相は官僚以外の国民に向かって諸君は文化的な最低限の暮らしを保障されている「金魚ではなく」、生活保護費以下の国民年金受給者たちは泥の中を這いずり回って餌を漁る「泥鰌」であれと言うつもりではないだろう。



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