まだ始まってもいない、

  野田政権が始まってもいない段階で「次」を狙っての動きをしている、とは穿ち過ぎではないだろうか。国会議員が様々な思惑を込めて右往左往するのは世の常だ。それを次を目指す離合参集だと評するのは野田政権の終わり方を見据えた上でなければならない。


 


 確かに人は群れたがる。寄らば大樹の陰、という言葉もある。浅ましく地位や名誉を漁るのが人の常だ。そのために群れを作って個々人の能力以上の影響力を持ちたいと願うのも人の常だ。しかし群れるためには誰とどのような理念を打ち立てるのか、ということが最も大事なのはいうまでもないが、往々にして高邁な議論は無視されがちで、単なる好悪の念で集まる「烏合の衆」に堕すのも常だ。


 


 野田政権はどのようにして、いつ頃終わるかが、次を見据えた場合にもっとも大事なのは言うまでもない。それは翻って野田氏がどのような勢力に担がれて代表選を勝ち抜いたかに因るだろう。すべての終わりは始まり方に原因がある。奇しくも野田氏は「全員がミッドフィルダー」になろう、と演説したが、全員がミッドフィルダーのサッカーチームは敵と戦った場合にどのようになるだろうか。


 


 今回の代表選は菅執行部によって巧妙に仕組まれた「小沢潰し」代表選だった。小沢氏本人はいうまでもなく、小沢氏と近い人たちに因縁をつけて見せしめの処分・排除した挙句の代表選挙だったことを忘れてはならない。野田氏が勝利した代表選は国民の代表たる国会議員を二十人以上も排除したうえでの選挙だったのだ。決してフェアな選挙ではなく、小沢氏の勢力を徹底して苛め抜いた上での選挙だったことを忘れてはならない。


 


 大手マスコミはそのことに全く触れていないが、勝って喝采を挙げている人たちの「人の和」よりも、排除され虐められて負けた人たちの結束の方が何倍も強いことも、また忘れてはならない。歴史を振り返れば一度負けた勢力がたちまち勢いを盛り返して政権を奪い取ることは決して珍しいことではない。


 


 野田氏は低姿勢でうまく立ち回っていると大手マスコミは好感しているが、大手マスコミに褒められることは、国民にとって用心しなければならない現象だ。財務省の操り人形とも評される野田氏が何をやろうとしているか、大手マスコミは織り込んだうえで野田氏を持ち上げているのだろう。その実態が何かは組閣された閣僚メンバーを見れば一目瞭然となるだろう。もう一両日待つとしよう。



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