誤った「常識」を問い直す。

  電気エネルギーの確保から「多様性」が安全・安定確保に欠かせない、という考え方がある。つまり水力や火力や原子力や自然エネルギーなどと多様性のあるエネルギーの組み合わせが特定のエネルギーに偏るよりも安定確保に欠かせないという議論だ。しかし、果たしてそうだろうか。


 


 かつて「金融工学」と称する米国発の巨大な詐欺がまことしやかに宣伝されていたことがあった。一見科学的だとされる論理も一皮剥けば複数の証券の抱き合わせを正当化する屁理屈に過ぎなかった。


 つまり証券投資を複数の証券のバスケットに投資することにすれば一つの証券が下落して損失を出してもも他の証券の利益がカバーして配当が滞ることはない、というまことしやかな投資話だ。実際はどうだったか、サブプライムローンの破綻により何が起こったか、記憶に新しいだろう。


 


 林檎箱の林檎は一つが腐れば次々と腐るという。腐った林檎は速やかに取り除かなければならない。金融工学では何が起こっただろうか。低所得者層に「不動産価格上昇を前提とした」貸し込により、「不動産価格は上昇する」と設定した前提が崩れるとたちまち不良債権化した。そして一つの債権が不良化すると債権バスケットそのものの信用が失われ、ついには巨大な証券会社リーマンすら倒産した。


 


 経産省は発電エネルギーにどのような根拠から原子力も必要だと判断したのだろうか。そして東電をはじめ全国の電力各社も原発を強力に推進したのだろうか。


 一つには電力会社の料金設定に於いて「利益上乗せ」の価格設定が巨大投資へ舵を切らせる動機になったと思われる。純然たる民間企業なら巨大投資は投資に見合う利益が見込めるか子細に検証しなければ踏み込めない。投資に失敗すれば倒産しかねないからだ。


 しかし電力会社に倒産の心配はない。どんな料金設定になろうと地域独占により確実に売り上げはある。決して顧客が他社へ逃げないため乱暴な投資をしようと決して問題ではない。ただ問題なのは電気料金などの許認可権を握っている経産省官僚の顔色を窺うことだけだ。それならいっそのこと抱き込んでしまえ、という考え方になってもおかしくない。それが「電源開発」と称する特別会計の成立原動力だろう。官僚にとってこれほど美味しい蜜はない。カネ集めに自らの手を汚す必要もなく、電力各社も会社の懐が痛むわけではない。カネが足らなくなることも決してない。すべては「発電原価」へ加算しさえすれば総額に3パーセントの利益相当を上乗せした電気料金総額が算出され、それを顧客へ負担させれば済むからだ。


 


 エネルギー源の多様化が電気の安定供給に繋がらなかったのはこの夏に経験した。東電などの電力各社は原発に発電電気のすべてを頼っていたわけではない。それでも原発停止により安定供給に赤信号がともった。なぜなのだろうか。


 多様化すべきはエネルギー源ではなく、電力会社ではなかったのではないだろうか。東電に地域独占をさせていた硬直性が今回の結果を招いたのではないだろうか。発電会社の多様化や競争性の確保こそが安定供給をもたらす。


 


 政府や電気事業者の「誤った認識」の大マスコミによる宣伝に乗せられないことだ。地域独占こそが諸悪の根源なのは明らかになっている。そして、企業原理の働かない「民間企業」は存在してはならない。東電など地域独占を保証されている企業群が民間企業だといえるだろうか。電機各社の経営に健全な民間企業の論理が生きているだろうか。民間企業のモラルが生きて活用されているだろうか。福島県のみならず近隣地域を放射能被爆の被害に巻き込み、地域住民の生活の根拠を見こそぎ奪った会社が存続するという倫理がこの世に存在して良いのだろうか。この国のモラルに反しないと政治家も官僚も考えているとしたら彼らのモラルこそ問われなければならない。


 


 発・送電分離と発電事業の自由化こそが電気の安定供給をもたらす。エネルギー源の多様性とはそういうことであって、単に発電エネルギー源の多様性ではない。愚かな事を発言している評論家やコメンテータがまだいるが、彼らの発言が正しくないからこの夏の電気不足が起こったのだという現実を見詰めなければならない。そうすれば電気マネーに曇っていた目の前が少しは見えるようになるだろう。



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