官僚内閣制の野田政権に官僚たちに苦痛を求めるのは無理なのか。

  野田政権がデフレ下の増税という多くの経済学の本にも「やってはならないこと」とされている悪手を打とうとするのはなぜなのだろうか。これまで子供手当などに対して自民党などの野党は「財源がない」として、財源なきばら撒きだと批判の大合唱をしてきた。それに大マスコミも悪乗りして国民に「子供手当などの直接支給=ばら撒き」との刷り込みをせっせと行ってきた。


 今度も復興財源のための増税は当然だ、との態度で大マスコミは繰り返し「増税=善」との報道を繰り返してきた。しかし官僚たちの給与を民主党のマニフェスト通りに2割削減すれば一年に1兆円削減でき、10年で10兆円となって増税は必要なくなる。そのことを産経新聞が取り上げたのは評価しなければならないだろう。


 


 官僚たちの給与削減の効果は、実は大変大きい。「給与体系は国家公務員に準ずる」としている企業・団体がこの国には多くあるからだ。その企業・団体は税に準ずる負担金などで運営されていたり独占企業だったりしている。つまり市場原理の働かない、取り放題の経費として給与も規定され、その負担はすべて国民に課されている場合がほとんどだ。それらの職員たちも給与削減されれば国民負担に及ぼす「減税効果」と等しい効果があるはずだ。


 昨日の予算委員会でNHKの職員の平均給与が1000万円を超えていると問題にされたが、本来は国家公務員に準じていた筈だが、どこかで箍が外れていたのだろう。東電などの地域独占企業の職員の高給ぶりも問題になっている。しかしそれらは給与だけの問題に終わらない。企業年金などの退職後の手厚い年金にも国民負担が潤沢に支給されているわけで「フザケルナ」と国民は声を上げなければならない。


 


 市場原理の働かない企業や団体職員給与は勤労者平均給与に準ずるのが正しいだろう。官民格差が著しく、民間企業勤労者の統計に算入されていない派遣労働者の多くは年俸200万円に満たない金額で働いている。この著しい不公平が存在する日本社会は国民が求めてきた社会だったのだろうか。そして国民負担の上に存在する官僚たちのお手盛りや国会議員数削減の怠慢ぶりはいったいなんだろうか。


 しかし国民に全く責任がないわけではない。財源なき予算措置を延々と続け膨大な借金の山を築いてきた自民党政権を国民は長年支持してきた。そして政権交代するや「財源論」を前面に打ち出して、子供手当や高校無償化や高速道路無料化を槍玉にあげた。自民党政権下の国債発行の屁理屈は「建設国債」だということだった。道路や橋などの社会インフラ整備は建設後60年の機能を果たすから60年償還の国債発行で良いのだ、とする理屈をしてきた。それなら子供手当は少子化対策であり「国家百年の計」であるべきだろう。高校無償化は「人材こそが日本の資源」という思想でいけば永遠に続けなければならないものだ。高速道路無料化は地方観光地や行楽地の活性化のみならず、国土の均衡ある発展に欠かせない基礎インフラの利権からの解放だ。高速道路がどれほどの利権に塗れているか、SEのテナント利権から子会社利権から新しくはETC利権まである。


 


 幾多のダブルスタンダードがこの国をいかにスポイルしていることだろうか。建設国債という屁理屈でいえば現在の国債残高はまだまだ急いで償還する必要はないものだろう。しかし少し落ち着いて考えれば、建設国債は実は安定財源が確保されている。揮発油税が充当されているはずだから、別枠として管理すればそれほど大騒ぎするものではない。しかし問題なのは公共事業などの「制度事業」の中に公務員給与などが潜り込んでいることだ。建設国債の何割が本当の社会インフラとして消費されたものなのか、官僚は屁理屈を言わないで公務員給与と事業予算を厳格に分離すべきだろう。


 公共事業単価も民間企業並みに引き下げれば3割程度は安くなるのは電子入札を実施した地方自治体で実証済みだ。それだけでも数億円が削減できるはずだ。仕組みを正さないで経費削減するのは官僚利権を認めた上での話に過ぎない。おざなりの議論は止めて、この国の行政そのものを根本からやり直す時期ではないだろうか。



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