国民も民主党の現状は見るに忍びないと思っている。

  大手マスコミは民主党の政権交代に込められた理念を解説しようとしない。「国民の生活が一番」というスローガンだけは揶揄するかのように取り上げるが、その中身について報道することは皆無だ。そして「子供手当」や「高速無料化」などをばら撒きだと批判してきた。政策に込められた真意を紐解くことなく、全否定することで「国民の生活が一番」の理念も葬り去ろうとしているかのようだ。


 


 いまさら言うまでもないことだが「官僚による官僚のための政治」からの脱却を目指していたのが民主党の政権理念だった。それは自民党政権が官僚丸投げ、官僚下請け官僚による政策の追認政権に過ぎなかったことに対する対立軸として打ち立てられたものだ。


 日本は先進諸国の中でも子育てに対する予算配分比率が極端に低い。爾来、子供関連は票にならないし、若い世代の投票率は低いため無視しても構わないとされてきた。それと子育ては個人的な責任だ、とする伝統的な考え方がある。その結果として特殊出生率1.39と少子社会になってしまった。


 


 少子社会がいかに悲劇的な結果を招くか、散々このブログに書いてきた。人口減少も良いではないか、生産手段が海外へ移転し、国内企業も生産現場がロボット化しているため多くの国民は必要ない、とする少子化容認の能天気な意見もあるようだが、百年後に国民の数が半減する国に明るい未来があるだろうか。そもそもこの国の社会インフラを維持・管理するためにどれほどの税が基本的に必要なのか、判然としていない。未だに新規社会インフラを造り続けているが、その維持・管理が未来の国民負担になることも考慮しなければならない段階に到っているのではないだろうか。


 


 地下資源に恵まれない国土に暮らす日本国民は教育立国を目指さなければならない。高度教育と先進工業技術と先端科学の進歩を絶えず目指す社会であり続けなければ日本の未来は暗いものになるだろう。そうした基本戦略に立った「高校無償化」であり、大学生に対する奨学金の「貸与から給付」へ転換しなければならないだろう。国民が家庭の経済環境に左右されず能力に応じて希望する高等教育が受けられる環境を整備することの重要性をもっと認識しなければならない。


 


 民主党はこの国の未来像をどのようなものとして国民に提示するのか、を争う代表選にしなければならない。連立などは手段であって、それを成し遂げたところで何を連立は目指すのか。官僚下請け政党の自民党と連立を組めばいよいよ民主党は真正民主党に回帰することはできなくなる。それよりも民主党は政権交代を果たした旗印をもう一度高く掲げて国民に「国民の生活が一番」の意義を問いかけ政策を提起しなければならない。


 当然、菅政権で決定された「東電救済スキーム」の原発事故補償システムを見直して発・送電分離と電気事業の自由化を成し遂げ、巨大な利権と化している電気事業界全体を一度解体しなければならないだろう。


 


 さらに官僚の既得権益を奪うために人事制度も大胆に見直さなければならない。一般企業では40台か50のはじめに企業内退職をして年俸制による再雇用をする人事をおこなう会社が大勢を占めている。そうした実態を無視して「民間企業に準じた」人事院による高級給与を公務員に支給し続ける人事体制はもはや時代の趨勢と大きく乖離してしまい役割を終えたのではないかと思われる。つまり人事院勧告といえども官僚によるお手盛りに過ぎず、それをチェックしえない国会の仕組みは改正しなければならないだろう。すでに民間企業の勤労者の平均年俸と比較して2倍近い格差は容認限度を超えている。それは年金に関してもいえるだろう。


 


 本来、民主党はそうした改革を行い「国民のための政治を行う」理念を掲げていた。そうした旗印を勝手に菅政権はおろし、菅代表の下の党幹部は無原則に自・公に譲歩してしまった。現在の民主党は政権交代を果たした理念を喪失し、完全な官僚の下請け政党に堕してしまった。このままの民主党なら政権交代は必要なかった。官僚丸投げ政権なら自民党でも良かった。


 民主党が羊頭狗肉政権に堕したまま果てるのか、それとも真正民主党へ回帰するのかを軸にして国民に公開した次期代表候補の論争が展開される代表選になることを心から希望する。



このブログの人気の投稿

それでも「レジ袋追放」は必要か。

麻生財務相のバカさ加減。

無能・無策の安倍氏よ、退陣すべきではないか。

経団連の親中派は日本を滅ぼす売国奴だ。

福一原発をスーツで訪れた安倍氏の非常識。

全国知事会を欠席した知事は

自殺した担当者の遺言(破棄したはずの改竄前の公文書)が出て来たゾ。

安倍氏は新型コロナウィルスの何を「隠蔽」しているのか。

安倍ヨイショの亡国評論家たち。