嘘も大概にしなければ、

 前原氏が8/24夕刻に小沢氏と会談して「考え方は大して変わらなかった」と記者たちに話したという。嘘も大概にしなければならないだろう。会談といっても僅か10分でどのような考えの交換が出来るというのだろうか。「やあ、やあ」とか「お邪魔します」とか言っているうちに5分程度は経過するだろう。そして「よろしくお願いします」だとか「ああ、それじゃ」とか辞去の挨拶を言っているうちに2,3分は経つだろう。そうすると実質的な話が何分できたというのだろうか。


 


 小沢氏が軽々に前原氏に乗るとは思えない。20歳も年下の小僧のくせに、これまで前原氏が小沢氏に十分敬意を払ってきたといえるだろうか。これまで前原氏が小沢氏を先輩と仰いで教えを乞うたことがあっただろうか。そうした長年にわたる信頼関係の構築があって、一時期疎遠になっていても顔と顔を合せればたちまち肝胆相照らす仲なら10分の邂逅でも十分かもしれない。しかしそうでなければ少なくとも1時間、数回にわたって話し合わなければ支持するか否かの結論は出ないだろう。小沢氏が簡単に勝ち馬に乗る、という論評は余りに小沢氏をバカにしていないだろうか。


 


 そもそも前原氏に「首相」になる資質があるのだろうか。彼の渾名が「口先番長」と呼ばれていることからも分かるように、喧嘩早い番長のように威勢は良いが、口先だけで後始末は他人に任せて尻をからげて逃げてしまうということだ。そうした実績の幾つかを国民は誰でも知っている。新しいところでは外務大臣として「強硬姿勢」に出た尖閣諸島沖の中国漁船問題だ。古いところでは永田メール問題で、後に精神を病んだ永田氏は自殺している。


 更に前原氏本人にも外国人献金問題や暴力団関係企業からの献金疑惑も取り沙汰されている。それでも松下政権塾の先輩の野田氏の支援要請を蹴って、自分までも名乗りを上げるとはいかなる神経をしているのだろうか。


 


 昨日の敵は今日の友、というのは世間でよくあることだ。合従連衡を繰り返す政界にあっては猶更だろう。しかし人が節操を失っては人望も失うと覚悟しなければならない。前原氏は大手マスコミの担ぎ出しの策動に易々と乗せられてしまったが、小沢氏はそれほど軽薄な人物ではない。たとえ勝ち馬でも、前原氏は勝った瞬間に野党攻撃で負けがミエミエの首相となるだろう。


 


 民主党国会議員諸氏は内憂外患に取り囲まれた国難を乗り切るには誰に舵取りを任せるべきか、本当に腰を据えて熟慮すべきだろう。代表選挙は大手マスコミが囃すような人気投票でもなければ児戯のような陣取り合戦でもない。国家と国民のために誰を自分たちの代表とすべきか、真剣に議論すべき場だと捉えて沈思黙考すべきではないだろうか。



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