「小沢詣で」とは失礼ではないか。

  党代表選に臨んで、立候補予定者が党内の実力者の許を訪れて支援を乞うのは当たり前のことだ。小沢氏は民主党内で最大の数を有する仲間を率いる実力者だ。彼の許を訪れて協力を要請するのは「邪」なことでも「ことさら取り立てる」ことでもない。


 


 いや、そもそもそういうことがなかったから菅民主党はおかしくなったのだ。大手マスコミの煽てに乗って「小沢氏排除」を頑なに行ったから国民の信頼を失い、民主党の理念をかなぐり捨てて卑しい性悪女のように自・公に擦り寄るしかなくなったのだ。そんな政権に魅力があろうはずもなく、菅政権の支持率が低下するとともに民主党の支持率も低下したのだ。


 


 いや、支持率などという大手マスコミによるほとんど捏造のような世論操作の具を頼りに菅政権の罪悪を論評する必要はないだろう。この国の政治の体たらくは政治家の体たらくと官僚の傲慢不遜によるものだ。官僚は民主党への政権交代に怯えたが、その「改革者」小沢氏を捏造疑惑で党トップから排除して民主党を普通の政党以下のものにしてしまった。小沢氏抜きの民主党にどれほどの力量があるというのだろうか。その不幸な予感はものの見事に当たり、力量なき政治家の政権が官僚に乗っ取られ、また官僚に乗っ取られることでしか国家運営ができない実態をさらしているのが菅政権の現状だ。トップたる首相がその器になくて、官僚が嬉々として仕事をするはずはない。この際だから利権構造を増殖させようと企むのが彼らの本質だ。そして本質そのままに地震・津波被害や原発事故の災害までも官僚によって利権増殖の具に利用され、利用され続けている。


 


 代表交代によって民主党は再生するのだろうか。本来の「改革者」の貌を取り戻すのだろうか。いや、なかなか困難だと思わざるを得ない。


 小沢氏が党代表となり首相とならない限り面従腹背、慇懃無礼な霞ヶ関の住人に使命を喚起させ国民のために能力を発揮させるのは困難だろう。代表選に立候補すると目されている面々の顔ぶれを眺めて、深い溜息が出るばかりだ。彼らに小沢氏ほどの力量を望むべくもないからだ。


 


 それなら誰が党代表になろうと彼は選出されるや小沢氏のバカげた党処分を解き、小沢氏の手腕を借りることだ。自分自身の力量を恃むなどという菅氏のような愚かな考えを捨てることだ。小沢氏にこそ政権を丸投げして仕事をすることだ。ゆめゆめ官僚や自・公に擦り寄ろうなどと考えないことだ。誇り高い「改革者」のスローガン「国民の生活が一番」を旗印に大手マスコミの雑音に耳を貸すのではなく、国民の声をしっかりと聴くことだ。残りの二年間にどれほど民主党が国民の信を取り戻すかにこの国の民主主義の未来がかかっている。



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