飛んでもないテレビ報道番組だ。

 有権者以外に頭を下げるな、と書いている『産経抄』には驚きよりも見識を疑う。乳幼児や子供たちは有権者でないから彼らのための政策は無用だという議論に通じはしないだろうか。小沢氏に支持を取り付けようとする代表選候補予定者を揶揄したのだろうが、そこには思慮の欠片もなく産経に猛省を求める。


 8/27朝の日テレ番組「ウェークアッププラス」という報道番組を偶々視聴していたら、コメンテータがトンデモナイ発言をしていて驚いた。「日本の首相を決める民主党代表選で党員資格すらない人が大きな影響力を持つのはどういうことだろうか」とか「長年この国の政界は変わりないのではないか」とか、小沢氏の代表選への関与がいかにも正しくない、いかがわしいものであるとでもいうかのような発言に終始していたのだ。


 


 党員資格停止は民主党の中の都合であって、小沢氏の政治家としての資質に適格を欠くものではない。むしろテレビに登場するMCや新聞記者上がりのコメンテータや御用評論家たちが新聞社やテレビ局の意見をなぞるような愚かな意見を披歴しあう掛け合い漫才のような番組進行こそが問題なのであって、登場人物の自由な意見発表は禁じられているかのようで、まるで台詞を記した台本が存在しているかのようだ。


 それだけではない。街頭インタビューまでも台本の進行そのままのコメントだけを取り上げているのではないかと疑いを持つ。


 


 テレビメディアはマスメディアの中でも最も怖いものだ。世論誘導にこれほど有効なものはない。意図する者にとって画面とコメントで簡単に視聴者を洗脳できる便利な道具はテレビ以外にはないだろう。それを各新聞社が支配下に置いている各テレビ局はまさしく桃太郎飴だ。どのチャンネルに切り替えても同じようなコメントを同じ様な顔ぶれが垂れ流す。日本政治を劣化させた元凶は各新聞社支配によるテレビ局の存在だといわざるを得ない。世界の先進国の多くはこうしたクロスオーナーシップを禁じている。それは世論を大手マスコミが誘導し扇動する危険性を少しでも減じようとする知恵だろう。


 


 実力ある政治家が実力を発揮しようとすると「小沢氏支配だ」といかにも悪であるかのようにMCやコメンテータたちが目を剥いて非難しあう、という図は正常ではない。誰かが非難すれば誰かが擁護する人選を行うのがフェアだろう。いうまでもなく政治は権力闘争で絶えず闘争が繰り広げられているのが正常な姿であり、それが国民の目に見えているか否かが大事なところなのだ。


 つまり国民の目に見えれば民主主義で、見えなければ暗黒政治体制国家だといわざるを得ない。すなわち国民が投票権を持っているだけでば民主主義ではないのだ。北朝鮮ですら国民による「選挙」は存在するし、露国にも選挙制度はある。ただ権力闘争が言論を通じて国民の目の前で演じられることが大切なのだ。それを「見飽きた政治劇だ」とか「バカバカしい権力闘争だ」というのなら、国民が自ら暗黒政治を望むことになる。街頭インタビューにそうした意見を披歴する国民が多いのには驚くし、日本国民が民主主義より独裁国家を望んでいるのかと思わず首を傾げる。そうではなく、テレビ局が意に沿わない意見をカットしているのだとしたらこれほど酷い偏向報道はないだろう。


 


 かつて愚かなコメンテータが大きな顔をして「政治とカネ」で小沢氏を徹底して貶めた。その同じコメンテータがいまだに大きな顔をして小沢氏を非難している。同じ「絵」を流し続けるテレビ局の支配体制は国民の目の前に詳らかにされていない。国民の目の前で繰り広げられる政治の権力闘争よりも、そのことの方がよほど大きな問題だと思うが、どうだろうか。



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