「ずっと楽だった」とは。国民は「ずっと苦労」しているのに。
どういう意味で言ったのか。首相夫人の言葉にしては「やはり軽い」といわざるを得ない。たとえ強がりにせよ、国民のために全力疾走した人に対する評価ではありえない。
それにしても菅夫婦は従来の首相のイメージを変えた。頼りない夫を叱咤激励する、という夫婦の有りようも世間に多いだろうが、首相夫人としてここまで出しゃばるのも珍しい。それなら男目線ではなく、子育てをした母目線から「子ども手当」や「高校無償化」は必要だという意見を夫の耳に吹き込まなかったのだろうか。
しかし「政治家はその日暮らしの日雇い労働者だ」という言は戴けない。確かに落選すればただの人だが、失業したわけではないだろう。それとも議員になるのを「就職」と心得ているのだろうか。
政治活動は国会議員にならなくても、いくらでもできる。ここにこうしてブログを書いているのも「政治活動」の一種だと心得ている。ただし「報酬」はなく「議員特権」もない。それだけに国民目線からブレることはなく、地位によって意見が変貌することもない。
その反対に菅氏は民主党が政権を取ってから大きく変質してしまったようだ。その政治的立ち位置が大きく変わってしまったのではないかと疑いを持つ。残念だが、彼は地位のために政治信条を弊衣のように脱ぎ捨ててしまったのではないだろうか。かれにとって政治は原宿のファッションのように時々によって「着替える」もののようだ。
その着替えを手伝っていたのが夫人だとしたら、夫婦そろって「キツイ」時期は一瞬たりともなかったのではないだろうか。波間に漂う流木のように「政権を浮遊」させておけば良いだけだ。あとは官僚が良きに計らうからだし、実際官僚が良きに計らった。最後になって恰好づけに「脱原発」だとか口走ったが、退陣表明した首相の「寝言」と一蹴されてしまった。現実には原発存続の仕組みを官僚たちは構築するかのように目先を変えようとしている。
かくして「国民は辛い」日々を送り、首相夫婦は「ずっと楽でした」と能天気な感想を述べている。これが現実なのだろうし、菅夫婦の政治風景なのだろう。国民は堪ったものではない。