超党派議連は政界再編に資するのか。
理念なき離合参集を「野合」という。政策ごとに議論して与野党が是々非々で協力体制を取るのが部分連合だ。はたして政策課題ごとの議連はどれに当たるのだろうか。
ただし、議連が力を持ち始めると政党の存在意義がなくなりかねない。何のために「政党」が存在するのか、が問われなければならない。それは二大政党といわれる民主党にも自民党にもいえることだ。
政党は政権維持のための離合参集の器ではないはずだ。理念を同じくする政治家が集まり、この国の在り方を政治から変えようとする原動力でなければならない。そうでなければ国民は選挙で何を基準に投票すれば良いのか分からなくなる。だからマニフェストを流行りの靴のように任期中に勝手に脱ぎ捨ててはならない。
この国の政治家も大手マスコミも言論人も、少しばかり論理的な「粘着性」が足らないようだ。簡単に以前に言っていたことを翻して主義を変えて恥じないところがある。
現在、何人のマスコミ関係者が「沖縄の基地負担を軽減しろ」と言い続けているだろうか。何人のマスコミ関係者が「政治の官僚丸投げ」を批判しているだろうか。何人のマスコミ関係者が「東電の原発事故責任」を追求しているだろうか。目立つのは場当たりに風にそよぐ葦のようにクルクルと主義主張を変えるご都合主義者ばかりだ。
ついにそれが首相の言動にすら顕著に表れるようになった。原発再開を巡ってみっともない菅氏のドタバタぶりは国民としても恥ずかしい限りだ。
一度は口にした発・送電分離を、菅首相は全く言わなくなった。それも変節の一部なのだろう。一国の首相ともあろう者の軽々しさに驚くばかりだ。
与野党が国家と国民のために協力するのは良いことだ。しかし、その前にやるべき手順を踏んだ上ではないだろうか。まず、それぞれの党内で議論を深めなければならない。党内で意思統一が出来ない内に部分的に他党の中でも意思統一の出来ない者同士が仲間としてサークルを作る、というのは出来の悪い大学の同好会のようだ。
政治家なら党内議論をまず深めて政党として政策を打ち出し、堂々と他党と正面玄関からお邪魔すべきだろう。それが政党政治の在り方ではないだろうか。
菅氏が場当たり的にタネがバレバレの下手なマジシャンのように手を変え品を変え政策を打ち出すのは正視に耐えない。それに不満があるのなら、民主党国会議員なら、まずは党内議論を深化させるべきだ。そうした愚直でも筋を通す姿勢を政治家が忘れては国の形までご都合主義になりかねない。