この腐り果てた「週刊誌」やジャーナリストたち
小沢氏を疑惑で一番叩きまくったのは週刊誌だった。とりわけ週刊Sや週刊Bの記事は酷かった。東京地裁の証拠採用に関して調書の半分も却下した件について、今週号の週刊誌はどう扱っているかと開いてみた。するとモノの見事にスルーして「陸山会裁判」に関する記事は何処にも見当たらなかった。
臆面もなく東京地裁が取り調べ調書の半分も証拠不採用とした決定を無視したものだ。かつて毎号のように週刊Sや週刊Bは競って小沢氏の疑惑捏造記事を「関係者によると…」という書き出しで検察情報をダダ漏れに垂れ流したが、その厚顔無恥さは今も健在のようだ。
一服の清涼を感じさせたのは週刊Pだけだった。少しまともな頭脳とジャーナリスト精神があれば「陸山会」事件は検察の暴走を大手マスコミがアシストしているのは見え見えだったはずだ。
当初小沢氏擁護の立場に立っていたジャーナリストT氏も途中から小沢氏批判に転じた。変節が惜しまれるが、しかしその程度の人物なのだろう。
自分の「目」による真実の希求よりも権威とカネに弱い「その他大勢」の日本のジャーナリストの一員に過ぎなかっただけなのだ。そうしたジャーナリストは海外では厳しく批判され決してテレビ局などから相手にされないが、日本ではその程度がまさしくテレビ局のストライクゾーンなのだ。
オウム真理教にも屈せず正義を貫いたジャーナリストE女史がテレビ画面から姿を消して久しい。癌にうち勝ったジャーナリストT氏もテレビ画面から消えてしまった。いずれも「陸山会」事件に関して堂々とテレビで真実を述べる数少ない人材だった。
今もテレビ画面で大きな顔をしていい加減なコメントを垂れ流して稼いでいる連中が「陸山会」事件報道とどのようなスタンスにあったか、決して忘れてはならない。
人当たりの良い正義面した連中の何んと薄汚いことか。怒りとともにそうしたジャーナリズムの敵を新聞やテレビなどのジャーナリズムの場から追放しなければならないと思う。そのためにも新聞社がテレビ局までも支配する現体制は根本的に改めなければならない。報道統制が時の権力者にとっていかに好都合で、国民世論までも巧みに誘導してしまうものかを、恐怖とともに振り返らなければならない。権力の幇間はジャーナリズムの世界に必要ない。必要なのは歴史の批判に耐えうるジャーナリスト精神を堅持した言論人だ。