この国は小手先の小細工ではどうにもならない段階に到っている。
屋台骨が朽ち果てている。この国の基本的な仕組みのことだ。会計からして前近代的な単式簿記でしかなく、世界基準となっている複式簿記ではない。
継続性の原則や総額主義の原則、何よりも評価基準もなければ減価償却の概念もない。そのような簿記で国家や地方自治体の会計実務を実施しているのだ。
そして会計システムとして国家経営全般の公的会計の全貌すら、官僚の作為的な経理システムの分散化により誰にも掴めなくなっている。
たとえばコンビニエンスストアは全国に1万軒以上のフランチャイズがあってもポスシステムによって本社は瞬時に弁当の何がどれだけ売れているかをも把握している。公会計も徹底して資金管理すればどれほどの無駄が省けるか、考えたことがあるだろうか。官僚たちは国民から税を頂戴して使っているという意識もないのではないだろうか。
情報管理にしても、この国は国家としての体をなしていない。国民はIDカードすら持たず、運転免許証をその代用にしているとは、どれほど後進国なのだろうか。
カルテにしても電子化して国家管理すべきが世界の趨勢だが、この国にそうした議論はいまだにない。今回の大震災で失われた診療所の紙カルテは再現不能だ。しかし電子化して、国家がバックアップしていれば患者が何処へ転院しようがIDさえ分かれば病歴は何処でも入手できる。
世界の先進諸国では国家としてクラウドを構築して、公的な情報を一手に掌握管理しようとしている。日本でもそうした議論を起こすべき時ではないだろうか。
これから問題になるのはシステムの劣化や機器の劣化が物理的なものではなく、システム工学的な進歩によって記憶媒体や機器が旧式化して使えなくなることだ。地方自治体や国家に予算が十分にある時代なら頻繁に情報の棚卸が出来たが、今後はそれすら困難になって来るだろう。
国会議員からペーパーを取り上げてすべてにiPADを持たせることだ。委員会や議事堂にイントラネット環境を構築して、電子機器で情報のやり取りをするように習慣づけることだ。そうすれば、それこそ政府委員は必要なくなる。子細な情報や条文もその場で直ちに確認できる。
国家のシステム化を急ぐべきで、そうすれば官僚の恣意的な「隠し」や「誤魔化し」は激減するだろう。
自然エネルギーの推進なら、発電の自由化が必要不可欠なのを認識すべきだ。電力会社の地域独占と既存利権を維持したまま、何ができるというのだろうか。小手先ではなくもっと基本的な議論をすべきだ。