「公」に働く者は「公の心構え」を
東京都知事が怒り心頭で怒りまくっているという。3/11当日にJR東日本の取った措置に対してだ。震災当日に東京の駅という駅のシャッターを下ろして乗客を駅構内から締め出したことに怒っているという。それにより10万人の帰宅困難者が作られた。
しかも地震後に緊急停止した列車へJR社員が乗客誘導に駆け付けたのは地震後一時間も経ってからだったという。
シャッターを閉めたのは駅構内が混乱するのを避けるためだったと社長が釈明したが、日本国民が地震で電車が止まって略奪や破壊行為に走るとでも思っているのだろうか。「お客様第一」の看板が泣きはしないか。
東電も2号機の二重扉を開けて高湿度高温の空気を入れ替え始めたようだ。すると88%の湿度が40%台に下がったというが、放射性物質も空気と一緒に屋外へ飛散するのではないか、という懸念を抱く。しかし東電は周辺の大気の放射能に大きな変化はなかったという。本当かと疑う。
それなら屋内が高濃度に放射能汚染されているから長時間作業は不可能だという発表は何だったのか。2号機の屋内に高濃度放射能汚染はなかったということなのだろうか。
公に働く者が公の立場を忘れて、個人的な思惑を優先するならこの国の「公序良俗」は破壊されたといわなければならない。菅氏が国家や国民のためではなく、極めて個人的な思惑から「首相の椅子にしがみつき」恰好の範を国民に垂れている。
政治家も国家や国民のためではなく、次の選挙のために、つまり自分の議席を守るために活動するなら、政治とは言わない。政治稼業といい、政治屋と呼ばなければならないだろう。
「公に働く人たち」とはこの国や地方や社会インフラを支え、公共料金や税から給与を頂戴している人たちのことだ。彼らが「公への帰属意識」を持たなければこの国の機能しなくなる。普段はともかくとして、緊急時には公のために個人的な事由は排除されなければならない。東電の役員や社員に「公意識」が希薄ではなかっただろうか。JR東日本の役員や社員に「公の心構え」があっただろうか。この国を直接司る官僚に「公への奉仕者」としての心構えがあるだろうか。国民の意識から公が希薄になって、国が成り立つはずはない。最後に大手マスコミの社員一人一人に社会の木鐸たる公意識が荒波にも揺るぎない巌のごとく存在しているだろうか。