年金の問題は「暮らせない」基礎年金にある。

 人は誰でも年を取るとさまざまな疾病や機能障害を抱えて弱っていく。元公務員であろうと元農家であろうと動物としての人機能の衰弱に個体差はあれ変わりない。


 そうした現実を直視して尊厳を失わない最低限の「暮らし」を保障するのが年金のはずだ。しかし国民年金はそうした保障を与えるものではないようだ。暮らしが成り立たない年金しか手にできない国民がいる半面、若年層の平均給与以上の年金を手にする元公務員がいる。


 


 それを世代間対立に持ち込んで空疎な議論の迷路へ国民を誘い込むのが厚労省とその下請け広報機関の大手マスコミだ。何人で一人のお年寄りを支えるとか、そうした議論はたくさんだ。統計で人口構成予測ほど外れない予測はないという。数十年も前から今日の問題は明確に予測できていたはずだ。それを現在の年金崩壊に直面して「さあ、議論しよう」と呼びかけるのは間違っている。


 


 公的年金はこの程度でしかない、というのを予め年金加入当初から告知していたのなら問題はなかったはずだ。


 かつて年金は積立方式だった。それを1985年に給与方式に変更した理念はなんだったのか。厚労省はそこから説明する義務がある。その政策選択の間違いが現在の年金問題の根本だ。そこから一人の年金者を何人の若者が支える、といった解決不能の不毛な議論へと展開するのだ。


 


 そもそも国家の一義的な責務とは何だろうか。国民の生命と財産の保全ではないのか。国民の老後の暮らしを支えるのが国家の責任で、そのために税を徴収しているのではないだろうか。つまり徴税権は国民の生命と財産を保全する、という前提のために国に付託された権利だ。それを「年金」保険で対処し、国防は枢要な部分を米国に依存するのなら日本は国家として必要ない、不要な存在になりはしないだろうか。


 


 年金はすべて税で負担すべきだ。そうすれば馬鹿げた「保険機構」を残すことによって膨大な準公務員と出先機関を全国に設置して経費をかけなくて済む。官僚の広報誌たる大手マスコミが世代間対立の不毛な議論を煽らなくて済む。そして健康「保険」事業も全額税方式にすれば全国の膨大な数の「保険事務所」を解散できるし、事業者も支払いを巡る不法行為を働かなくて済む。


 国民で支えあう、あるいは受益者負担、というレトリックによる「保険」制度がいかに官僚の恣意的な作為を保険制度に潜り込ませてきたか、を国民は知らなければならない。そこにあるのは根源的な官尊民卑の視線が薄紙のように透けて見えるだけだ。


 


 そのために消費税が十数%になるのなら、そのことを国民に分かり易く説明しよう。そしてすべての格差を排除して、国民に均一な公的年金を支給しよう。それよりも多くの年金を受給したいと願う人は民間保険会社に個人年金を積み立てれば良い。


 そうした制度へ移行するのに30年などとバカなことはいわないことだ。3年程度で移行することだ。現在の年金格差はごく僅かだけ残せば良い。退職後の年金生活にも現役世代の格差が持ち越されるのは不合理という他ない。公務員など税による共済年金給付を受ける者が民間企業退職者より高額なのは世界の非常識だということを知らなければならない。



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