「何をやっても駄目だ」という議論は不毛だ。
菅首相をやめさせるために次善の策を求める、というのならそれ相応の候補者を立てなければならない。次善の策が「棚ボタ」に自分の上に落ちてくれば良いが、と獲らぬ狸を決め込んで沈黙を守っている国会議員も無能の誹りを受けかねない。
民主党内で菅氏に協力している人たちはおしなべて閣外へ去るべきで、党執行部も辞任すべきだろう。現執行部体制ですべての選挙に連戦連敗してきた。これほど見事な民意はないだろう。
それでも大手マスコミは奇妙な論理を用いて菅政権の存続を図っている。つまり菅首相の支持率は30%しかないが今年一杯まで続けるべき、が55%もいる(5/17読売朝刊の世論調査による)としている。しかし災害復興を評価するのは33%で、評価しない人が59%もいるのに菅政権で今年一杯は災害復興しろ、というのだ。新聞世論が大いなる矛盾を露呈している。
菅氏が首相になって東北の大災害は別としても、国内外へ向けてどのような政策をしてきたというのだろうか。尖閣諸島問題や北方領土問題、さらには半島問題を屈辱的に蒸し返したりさらには辺野古沖移設を米国議会の民主党議員から「無理だ」と、引き延ばしを図っている菅政権の無能な官僚の反対に「建設的」な発言をしてきた。
遠い過去のように思っているかも知れないが高々一年以内のことだ。国内でも民主党内議論も何もなく突如として消費税10%を打ち出したり、保険負担と税の一体改革、と称して国民負担を増やすことばかり工作し、デフレ不況をさらに悪化させた。そして国際的に「財政規律」を発信し、米国のドル垂れ流しやユーロの垂れ流しによるによる為替相場の受け皿となって円高誘導をした、と受け取られかねない通貨政策を繰り返した。それがさらに国内景気を冷え込ませた。
首相に菅氏がなってから良い政策は何一つとしてない。民主党マニフェストの非自民党的な部分は大手マスコミと官僚の徹底した批判とサボタージュにあって政策遂行すら覚束なくなっている。官僚内閣制政権と揶揄されていた自民党政権に対して政治主導による議院内閣制政権を打ち立てようとしたら、菅氏になって非小沢・仲良し内閣から突如として鵺のような与謝野氏取り込みから財務省内閣へと変貌した。こんな民主党は見たくない、と民主党を支持した人たちまでも菅政権に距離を置いても当然だろう。
民主党国会議員は今日選挙があればほとんどが落選するだろう。つまり「死に体」の国会議員ばかりだ。有権者の支持が去った選挙区へ帰れば、この初夏へと向かう風薫る日々にもかかわらず寒々とした思いに首を竦めているはずだ。
あなた方は既に死んでいる。同様に小沢氏は官僚(検察と司法当局)と大手マスコミによって逆境に陥って政治家として死に体の様相を呈している。それなら同じ死に体として、小沢氏を「首相候補」として担いで何が悪いというのだろうか。死地を脱するにはそれぐらいの荒療治をしなければならない。大手マスコミの狭い「常識」の度肝を抜くぐらいの度量を示して、国家と国民のために死力を尽くすべきだ。
小沢氏を首相候補に押し立てれば大手マスコミは非難ゴウゴウだろう。しかし刑事被告人が首相になって何が悪い。どの法律にも反していないし、道義的に問題があるというのなら疑惑捏造を散々やってきた検察とその広報機関たる大手マスコミの道義的問題はどうなのだ。ジャーナリストの端くれともあろう者たちが揃いも揃って「推定無罪の原則」を丸めてゴミ箱へ放り投げたのか。小沢氏への謀略による実態不明な検審起訴ですら「裁判で白黒つけろ」というもので「疑わしきは被告人の利益」という刑事訴訟法の精神すら踏み躙ったものだ。大手マスコミの大好きな「人権」意識も小沢氏に関してはモノの見事に喪失するという、気楽なご都合主義を恥ずべきだ。
民主党国会議員は粛々と小沢氏を押し立てるべきだ。弱い犬ほどよく吠える。そんな連中は蹴散らして死地へ赴く心境で遂行することだ。菅政権下で党が瓦解するのを待つより、解党的決断をする方が遥かに良いだろう。