出来もしないことを強要する米国。
辺野古沖移設米軍基地の滑走路をI字型であろうがV字型であろうが、そもそも米軍基地の辺野古沖移設は出来もしない合意だから、いくら日米政府が検討しても無意味なことだ。そのことは世界戦略にたけている米国は十分に承知しているが、その上で日本政府に「合意案」の早期実施を迫るのはそのことにより最終的に用心棒代の引き上げか、グアム移転費の負担増額を狙っているとしか思えない。
米軍の「トモダチ」作戦ですら勘定書きを日本政府へ突きつけようとしているぐらいだから、米国人の善意なぞは信用ならない。あくまでもビジネスの一環だと考える方が正しいだろう。
米軍が日本国内の基地に駐留している利益が米国にとってあればこそ居座っているのであって、日本国の防衛のために駐留しているのではない。ちなみに日本の基地に駐留している米兵が日本国防のために戦死したことは一度もない。ただ朝鮮半島やヴェトナムや中東へ赴いて戦闘行為に従事し、多くの兵が血を流し戦死している。
しかし、そうした米国の行動に関して日本国民の多くは無関心だ。英国では米国のイラク進攻に逸早く理解を示して軍を出動した当時の首相の判断が間違っていたとして現政権に弾劾されている。日本も戦闘行為に参加はしなかったものの、自衛隊を派遣し軍事費の支払いを行った国として「大量破壊兵器も核兵器」もなかった事実への反省がまったくないのはなぜだろうか。
それどころか大手マスコミは当時の首相を現在も人気者のテレビ・タレントのように持ち上げている。その節操のなさには呆れ返るばかりだが、日本国民も国家戦略なき米国追従に終始した時の首相を今も歓迎しているかのようなのは何なのだろうか。その首相により学者から登用されたブレーンやその首相の秘書だった人が現在もテレビに登場して大きな口を叩くのはなぜなのだろうか。その首相の時代に日本は決定的に市場原理主義へ突入して様々な社会的な問題を引き起こした張本人たちであるにもかかわらず、にだ。
日本政府は誤解を恐れず米国に「普天間の辺野古沖移設は不可能だ。まっすぐグアムへ移転してくれ」と公有水面埋立法の国内法と沖縄の県民世論を提示して、理解を求めるべきだ。いつまでも出来もしないことを「やるやる」と言って結論を先延ばしする方が不誠実ではないだろうか。
そして日本政府は「国を守るのは国民だ」という世界で常識のことを国民に宣言すべきだ。そのために自衛隊を増強し、防衛のための攻撃部隊も整備・保持し、その費用に米軍に支払っている「思いやり予算」を使うとすべきだ。