基本的に地元の意見を尊重すべきだが、

「復興構想会議」なるものがどこまでの権限を有するのか、その定義すら曖昧だ。つまり被災地復興資金が十数兆円必要だろうと見込まれているが、復興構想会議がその予算の何割かに関して個所付けする権限を有しているのか、それとも中央政府が地元の復興構想の主導権を握り、官僚がこれまでのように地元をハンドリングするための「補助金」行政を強力に推し進めるための隠れ蓑に使うのか、いずれの性格を有するのかを見極めなければならない。


 


 しかし地元に暮らしていない人たちが集まって、たとえ何らかの専門家だとしても東京にいて勝手に被災地の「復興構想」を話し合うとは何とも僭越な会議だろうか。地元にはそれぞれの事情がある。そうした事情を考慮しない会議はすべて机上の空論だ。


 たとえば漁港を集約化するのか、それとも以前あった通りに復元するのか、という議論だ。経済効率からいえば一ヶ所にハブ漁港を作って、その近辺の漁港を単なる係留港にするというものが一番だろう。そうすればハブ漁港として必要な施設を一ヶ所に集中的に整備して、それぞれが経済効率の良いような規模と配置にすれば良いだろう。しかし、そうするとハブにならなかった漁港は単なる係留港の存在となり以前のような漁港としての賑わいはなくなる。


 


 三陸沖は世界的な好漁場だ。目の前の生簀に指を咥えて漁港が係留港の役割だけに縮小されるのはハブ港にならなかった人たちの不満を募らせるだけだろう。しかも漁業以外にこれといった産業のなかった地域にとっては復興のカギを奪われることになる。


 それでも地域全体がプラスに働くのなら地方自治体たる県が調整に乗り出さなければならないだろう。そして地元選出の国会議員も調整役を買わなければならないだろう。


 だが、そこには厚い信頼関係がなければならない。チマチマとした漁港を復興しても以前通りの賑わいは戻ってこない。そこにいた何割かの人命が奪われ、全国に散らばった被災者たちの何割かは戻ってこないことも予測しなければならない。大都市神戸ですら被災後十年たっても人口が以前通りに復すことはなかった。


 


 地域の復興に際して、地域相互が役割分担をすべきだと思う。つまり漁港の外にいずれも養殖場を整備し、それぞれに牡蠣や海苔や魚などの養殖場を設けて大型漁船が港に出入りするのを妨げていた。そして養殖場の海底が荒れるのにかませていた地域も見られた。そして漁港に専業漁師や遊漁船で観光や釣り客相手に民宿を営む元・漁師もいた。そうした人たちの生き方と客層の違いを選別して、港の役割を特定化する方がそれぞれの目的に沿って使いやすいものになるだろうし、大型漁船や遊漁船が混在しない方が安全対策上も望ましいだろう。


 


 しかしハブ漁港から外れた港に暮らす人たちに、職場たる漁港へ徒歩5分の暮らしを放棄させることができるのだろうか。それこそ将来構想をしっかりと提示して了解を得なければならないだろう。地域住民もハブ漁港になった地域は大型の施設や広場や道路が港に集中するため、居住地域は港から遠くへ離れることになる。しかも夜間も大型トラックが道路を爆走するだろう。都市計画をしっかりと立てなければ暮らしにくい街になりかねないだろう。


 やはり、復興構想会議は様々な選択肢を提起する程度のものに役割を限定しなければならないだろう。最終決定は地元が行うべきで、それも地元の利害者だけを集めておざなりな会議を開催して決めるのではなく、生活者たる地元住民が万遍なく集まれる百人程度の大会議を開催し、地元へフィードバックをこまめに繰り返して議論を地元の議論として共有する必要がある。


 会議はすべて公開とし、夜間に二時間程度毎晩のように行うことだ。出来れば有線テレビやネットで流すことだ。地域住民が必ず一度は全員が発言した、と後で振り返られる会議を興すことが何よりも大事ではないだろうか。



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